「3度死にかけた
若き日の世界連邦の旅」

橋本正明
株式会社英語セミナー創業者 橋本正明
(早稲田大学政経学部卒 旧荘内館出身)

※この文は、公益財団法人やまがた育英会の駒込学生寮で2017年度(平成29年度)に講演した内容に加筆したものです。

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「世界連邦」で第三次世界大戦が起こらないようにする

皆さんこんにちは、ただいまご紹介にあずかりました橋本正明です。これから話すのは、私が若い時に世界を旅してきた内容です。

私は山形県の酒田市出身で、1945年(昭和20年)の第二次世界大戦の終戦の年に生まれたんですね。当時、私の父は戦地にいて肺結核にかかっていたんです。肺結核というのは死の病なんですね。生き延びて日本に戻ってきて、生まれたばかりの私の顔を一度だけ見て、私が2歳のときに東京郊外の清瀬の国立結核病院で死にました。戦病死として今は靖国神社にいます。だから私は父には一度しか会っていないのですが、小さいときから「戦争ってどうして起こるんだろう、どうやれば起こらないようにできるんだろう」と、子供なりにずっと考えてきて、大学では政治学を専攻しました。

このやまがた育英会の駒込学生寮は以前は荘内館といっていましたが、ここに入れてすごいうれしかったんです。私の父も大学時代は荘内館にお世話になっていたんですが、この歩くところ、私の父がかつて歩いた、その同じところを私も歩いているという、すごい感激だったんですね。

荘内館時代に考えたのが、「世界連邦」です。「世界連邦」は、戦争が起こる原因は国があるからだという考え方なんですね。国と国の利害が対立すると、初めは外交で解決します。しかし外交でも限界があったら戦争で解決しようします。だから国という枠を低くして連邦にすれば戦争がなくなるという考え方なんですね。例えばヨーロッパで言えば第一次世界大戦後にすぐ、第二次世界大戦がありました。でも今、共同体ができて連邦になったので、外交的にあるいは裁判で解決するようになってきた。これを世界中に広げれば第三次世界大戦は防げるはずだと私は考えました。

日本からソ連へ

大学を卒業して、社会人になって少しお金を貯めてから、イギリスの国立エセックス大学の大学院に行きました。この分野で西ヨーロッパでも有名な教授がいたんですね。友人・知人・親戚に挨拶状をバラまいたら、たくさんの餞別(せんべつ)が集まりました。旅先から御礼の絵葉書を送ったんですが、一番喜ばれたのは帰路のインドでお釈迦様がその木の下で悟りを開いたといわれる菩提樹(ぼだいじゅ)の葉っぱです。日本ではすごい価値があるんです。昔話でタヌキが葉っぱを小判に変えますが、あれは本当です。ある人はお仏壇にあげて毎日拝んでいるとのことでした。だから、皆さんの中でこれから行く人は初めにインドに行って菩提樹(ぼだいじゅ)の葉っぱを送れば、義理はすぐ返せますよ(笑)。

当時、ヨーロッパへ行くのに一番安いのがシベリア経由なんですね。横浜からオホーツク海を通ってナホトカまで船で行って、そこからシベリア鉄道で1週間ぐらいかけて首都モスクワまで行ったんですけど、僕のころは飛行機のほうが安いとなってイルクーツクという町まではシベリア鉄道で、そこからモスクワまで飛行機だったんです。

イルクーツクの空港に着いたら待合室が正方形なんですね。その正方形の隅に4つの同じサイズの売店があるんです。ちっちゃい売店ですけど、同じような年齢の同じようなおばちゃんが一人ずついるんです。商品は同じもの。「あ、これが共産主義の本質だ」と思いましたね。競争が全くないんです。同じ品物だから別にどこで買っても構わないんです。日本ならばおばちゃんが「あ、いらっしゃいませ」とか愛想よくしますよね。「これおいしいですよ」とか言いますよね。それがないんです。要するに共産主義は失業を出さないように、おばちゃんたちを雇おうとするんです。利益を上げようとはしないんですね。

次に首都のモスクワに行きました。モスクワで一番大きな百貨店が国立グム百貨店なんですね。でっかい建物です。ところが商品棚に商品がすごく少ないんです。売店のおばちゃんたちの人数は多いんですよ。グム百貨店をずっと回っていると、1つだけ長蛇の列があったんですね。列の後ろからずっとついていったんです。並んでいるのはおじいさんとかおばあさんが多いんです。一番前でテーブルの上にパンティストッキングを山のように置いているんです。おじいさんはパンティストッキングをどうするんだろうと思いましたよ。要するに計画経済なんですね。上のほうが計画してこれをつくれとやるわけです。上のほうは官僚、役人ですから現場のことはあんまりわからないんですね。ただパンティストッキングを何足つくれとか、色だってサイズだっていろいろあるはずなのに、とにかく作れと言うだけなんです。現場とあまりにもかけ離れた計画経済じゃ、やっぱり共産主義体制だめだろうなと思っていたら、案の定だめなんです。1991年にあっけなくソ連崩壊してしまいました。今、共産主義体制をとっているのは北朝鮮ぐらいです。中国ももう資本主義ですね。やっぱり人間の私有欲をないものとしたらだめだという、学生時代に僕の考えたとおりなんです。

私の学生時代は学生運動の嵐でした。今の皆さんには想像つかないと思いますよ。私のいた大学では半年間授業なしでした。校舎の入口が机・イスのバリケードで入れないんです。東大は東大紛争で入試中止でした。アメリカではベトナム戦争反対運動、フランスではパリの5月暴動、中国では紅衛兵(こうえいへい)運動など、すごく面白い時代でした。

原因はシンプルにベビーブームです。第二次世界大戦が終わって出征兵士が帰ってきて一斉に結婚したから、子供が世界中で一斉に生まれたんですね。この子供たちが20歳ぐらいになって既成の価値観に反対したのです。学生運動の友達を観察すると、とにかく何でも反対なんです。それから反対の理由を考えるのです。「マルクス主義でなければ学生にあらず」の時代だったので、マルクス理論で説明するのです。

この理論は「かつて原始共産制の私有財産のない全員平等な理想社会があった。しかし強い者が財産を私有し始めたので、資本主義社会になった。少数の持つ者と多数の持たない者が闘争し、必然的に共産革命が起こって多数派の持たない者が勝って再び理想の共産主義社会になる」というものです。しかし、実際に共産主義革命が起こったのは資本主義の発展初期の頃のソ連(現ロシア)や中国で、資本主義が最高度に発達したイギリスやアメリカでは、共産党は無視できる程度です。実際にイギリスの大学の共産党員と話したら「共産党宣言」程度の知識しかないのです。日本の大学の学生運動の指導者と比べたら赤子のようなものです。マルクスは19世紀の初期の資本主義だけを見たからで、マルクスの批判のおかげで現代は修正資本主義になっています。

マルクスはユダヤ人なので、マルクス主義はユダヤ教・キリスト教と同じ理論構造を持っています。つまり「かつてアダムとイブの楽園があった。しかしヘビにそそのかされて知恵の実を食べたので、堕落してこの世に落とされた。悔い改めれば、人間は再び理想の楽園に戻れる」というものです。こういう意味ではマルクス主義は宗教の一種です。神のいない無神論の宗教です。だから、「宗教はアヘンである」と他の宗教を批判するのです。宗教は両立しないのです。

スウェーデンの話

ソ連から次に飛行機でスウェーデンに行ったんですね。スウェーデンは、日本人は皆ここが憧れなんですね。我々が泊まっていたところに煙突掃除のお兄ちゃんが来たんですね。青い目で金髪で、同じツアーの女の子たちがキャーキャー騒いでいるんですよ。で、煙突掃除しておりてきたらもう顔がススで真っ黒。女の子たちはシーンとしてしまった(笑)。

公園に行ったら酔っ払いが「ウイスキーを買ってくれ」と言うんですね。「あそこで買ってくれ」と。「自分で買えば」と言ったら、「俺は買えないんだ」と言うんです。要するにアルコールを買う免許証があるらしくて、その人たちは免許証がないんです。「おまえはジャパニーズだから、おまえなら買えるから」とお金を僕に渡すんです。僕はいろんな国を旅して、いろんな乞食の人と会ってきましたけど、スウェーデンのは乞食じゃないんです。お金はあるんです。私より少し前に来ていた友達に「ちょっとタバコ1本」と言ったら、「何言ってるんだ、おまえ、このタバコは半分税金だよ」と言われた。税金がすごい高いんです。

私はヨーロッパからインドへ陸路で旅したんですが、途中のアフガニスタンで反対にインドからヨーロッパに帰るスウェーデン人青年2人と会ったんですね。そのスウェーデン人は「俺はスウェーデンに帰りたくない。スウェーデンには笑いがない」と言うんですね。「インドは笑いがある。インド人はスウェーデン人より幸せだ」と言うんです。そのスウェーデン青年は大麻(マリファナ)にはまってしまって、スウェーデンパスポートを闇市場で売ったが、その有り金もすべてを失ってしまった。最後にインドのスウェーデン大使館に泣きついて、インドからスウェーデンまでの片道証明書とお金を出してもらったというんです。福祉国家のスウェーデンは確かに物はすごいたくさんあり、このような社会福祉も整っています。物質的には豊かです。調度品でもスウェーデンの調度品はすごいんですね。だから日本人はスウェーデンを「いい、いい」と言うけれど、「人はパンのみにて生きるにあらず」だからそれなりの精神的なマイナス面はありますよ。

ロンドンの英語学校

それからイギリスに来て、大学院が始まるまでに外国人用の英語学校に行ったんですね。初めはまだお金があったので結構高い英語学校に行ったんですね。初めにペーパーテストをしたんですね。12段階のクラスがあって「上から2つ目のクラスに行け」と言うから行ったんですよ。生徒全員が英語でベラベラしゃべっているんです。英語学校に来る必要のない人達なんですね。僕はすぐ事務室に行って、「とんでもない、あんなクラスはだめだ。一番下のクラスにしてくれ」と言ったんですね。そうしたら事務員が、「あんた、こんなにテストの成績がいいのに一番下のクラスなんかだめ」。私は「お願いします」と頼み込んで、妥協案が下から2番目のクラスに入った。これは楽しい。英語ができない人ばかりなわけだから、これは楽しくてしようがなかった。

そのときの日本で習った英語が、「私はペンを持っていません。」と言うとき、“I have not a pen.”だったんですよ。今は“I don't have a pen.”で、“do”を使います。先生に「日本ではこう習いましたよ」と言ったら、「エンシェント(古代)」と一蹴された。英語はもう変わったというんです。アメリカのテレビ番組がバンバン、イギリスで流れるわけです。だから若い人からアメリカ英語になっていて、have動詞はなくなってdo動詞に含まれていたんです。

私が経営する英語専門塾では、そのときの教材のようにbe動詞do動詞の2つの動詞で教えています。日本の教科書ではhave動詞があった時代のジェネラルバーブを一般動詞と訳して教えていますが、本当にエンシェントです。日本の文部科学省は英語教科書の「一般動詞」を「do動詞」と変えないと生徒の英語力は高まりません。

次に、その英語学校は高いのでやめて、安い英語学校に入ったんですね。そこは安いから、もう生徒がすごい多いんです。先生は大学を出たばかりのかわいい女の子なんですね。でも人数が多いから授業にならないんですね。だから、私は授業後にいつも彼女とデートしました。いい英会話の勉強になるわけですよ。ロンドンの中央にリージェントパークというでっかい公園があるんですが、その池の脇のベンチに座って、夕日がすごくきれいだったので、キスしようとしたんですね。そうしたら彼女は“My father was a Japanese prisoner.”(私の父は日本の捕虜だった)と言ったんです。prisonerの意味はよくわからなかったけれど、prisonは牢獄とか監獄ですね。それにerがついて日本の囚人だったんです。

それはどうしてかというと、第二次世界大戦で日本がイギリスの植民地のビルマ(現ミャンマー)に攻めていったんですね。イギリス植民地からの独立運動をしていたアウンサン将軍のビルマ国民軍を助けるために、ビルマに兵を送ったんです。アウンサン将軍はビルマ独立の英雄で、今の指導者アウンサン・スー・チー女史のお父さんです。そのときクワイ河という大きな河があって、そこに橋をかけるためにイギリス兵の捕虜(ほりょ)を動員したから、たくさんのイギリス兵が死んだんですね。映画の『クワイ河マーチ』で有名ですが、そのときの1人が彼女のお父さんだったんです。終戦から20数年も経っていても、戦争が残っているんですね。だから、もうそれでオジャン。彼女は先生を辞めてしまった。

英語学校にいたときに、イタリア人の初老の紳士が2人いたんですね。ジャパニーズとわかると“Japanese are very strong.”(日本人はとても強い)と話しかけてくるんですね。「あれっ、日本はイタリアと戦争したかな」と思ったんですね。日独伊三国同盟だったわけです。日本とドイツとイタリアは同盟を組んでいたから、イタリアと戦争なんてしてないはずです。実を言うとハワイがありますよね。ハワイに日系人がたくさんいたわけです。日米開戦したらハワイの二世、三世がアメリカ軍に集団で入隊したんですね。それは日本がハワイの真珠湾(しんじゅわん)攻撃をしたので、このままではお父さんお母さんがアメリカ人にやっつけられる。自分はお父さんお母さんを助けるんだといってアメリカ軍に集団入隊したわけです。アメリカはそれを日系人部隊として編成したんですが、日本と対戦させるわけにいかないといってヨーロッパ戦線に送ったんですね。ヨーロッパでもイタリアに送ったんです。日系人部隊はハワイのお父さんとお母さのために勇猛に戦ったんですね。だから強いということが分かって、日系人が上陸したらイタリア軍は皆ワーッと逃げたというんです。だから彼らだって直接日系人と戦ったわけじゃないんだけど、 “You are very strong.”(あなたはとても強い)とかと言ってすごく誉めるんですよ。別に私が強いんじゃないですよ。日系人の祖国愛が強いんですよ。

キリスト教の一番悪いところは「人間愛」そのもの

大学の寮に入ったらイギリス人学生が部屋に来て、「キリスト教徒になれなれ」と言うんですね。「キリスト教は愛の宗教だ。なんじの隣人を愛せよだ」というわけです。でも私は「おかしいじゃないか。アメリカなどはアトミックボム(原爆)を日本に落としたし、黒人を奴隷にしたじゃないか。何でなんじの隣人を愛せよなんだ」と反論したわけです。要するに「なんじの隣人を愛せよ」と言うのはいいんですけれども、隣人の人の定義の問題なんですね。「あいつらはジャパニーズだ、有色人種だ。だからアトミックボム(原爆)を落としてもいい。あいつらは黒人だ、だから奴隷にしてもいい」。要するに、「人間愛」と言いながら、自分たちに都合のいい「人」なら愛するけれども、都合の悪い「人」なら殺してもよい。動物の牛や羊は人ではないから当然、殺して食べる。十字軍イスラム教徒を異教徒だからと徹底的に殺したし、黒人は白人でないから奴隷にした。キリスト教の一番悪いところは「人間愛」そのものにあるんですね。それを説明したわけです。

1人が来てだめなら2人、3人。毎晩、集団で僕をやっつけるんです。僕も仕方がないから聖書を買って読んで、「ゴッド(神)って何だ、どうやって証明するんだ」と聞いたんですね。そしたら、聖書にはイエス・キリストがはりつけになってから、弟子の何とかが歩いているとき神の声を聞いたって書いてあるというんです。「ハブ ユー シーン ゴッド?(おまえは神を見たのか)」と聞くと、しどろもどろになるんです。キリスト教ではゴッド(神)の証明はできないんですよ。

イギリス人の名前はクリスチャンネームといって普通は聖書の中からとります。すると似てくるので、ミドルネームが発達しました。日本人の名前は発音しにくいので、日本人の方からクリスチャンネームを作って彼らに覚えてもらいやすくします。私はモーレツに考えてJesus(ジーザス)としました。イエス・キリストのイエスの英語読みです。あまり偉すぎてキリスト教徒は名前には使いません。自己紹介で“My name is Jesus.”と言ったらシーンとなってしまった(笑)。大学内でうわさが広がったらしく、ある時知らない女の子が遠くから走ってきて“Hello, Jesus.”と言ってクックッと笑った。実際、その当時の私は髪もヒゲも伸び放題で、イエス・キリストに似ていたんです(笑)。

大学院の授業

大学院が始まって、まずすごいハード。当然ながら、全部英書なんですね。皆さんも大学で英書をやりますけど、1ページの中に知らない単語がワーッとあるんです。だんだん2ページ目、3ページ目で辞書を引く回数が少なくなりますが、とにかくハードでした。

イギリスでは2週間に1回ぐらいエッセイというものを出すんですね。エッセイといいますが、要するに小論文なんですね。教授がテーマを出して、それを小論文にまとめるんですけども、必読書リストに7〜8冊ぐらいあるんです。学生はお金がないからそんなに本を買えないわけですよ。図書館にその必読書と同じ本が何冊か用意してあるんです。それを借りて書くんですが、図書館では1冊借りるのが2時間なんです。皆が借りるから、2冊はだめ。仕方がないから1冊借りて、2時間でワーッと読んでパッと返して次の本を借りるんです。だんだん上手になってきて、よく見たら英文がこうありますよね。先輩がここに線を引いているんですね。英語は横書きだから、彼らはこんな風にタテに線を引きます。だからパーッと見て、「あ、ここだ」。そこを見てエッセイを書くんですね。

このエッセイの締め切りは金曜日の夕方5時、これをdead lineと言います。死線と言っているんですよ。何通目か、僕は5時を少し過ぎて教授室をトントンとやったら教授はもういないんですね。だからドアの下から入れて帰ったんです。次の授業で、「君は、出てないよ」と言われました。dead lineを過ぎたらもうだめなんです。こんなに厳しいと思わなかった。交通事情は、日本の電車は正確でしょう。イギリスの電車は適当なんですよ。はっきり言って、どうしてエッセイの締め切りだけ時間厳守なのかわからない。だから、金曜日は学生は朝から図書館に詰めかけてエッセイの総仕上げをするんです。“How are you?”の返事は“I’m fine.”と日本では習ったのですが、金曜日は“I’m dying.”(私は死にかけている)だった(笑)。

あるエッセイ提出日の朝、起きたら枕に髪の毛がたくさん落ちていた。頭をとかしたら髪の毛がごっそり抜けた。エッセイストレスだった。坊主になるのは困るので勉強方法を変えた。イギリスでは大学生は同学年のたった5%しかいないから、かなりのエリートで、大学内の銀行支店が全員に小切手帳をくれるんです。金額を書いてサインすれば口座から自動的に引き落とされるんです。僕は小切手を使って大学内の本屋からメインの本を買って、その他の必読書は先輩が線を引いてある部分をコピーするようにした(笑)。

学生寮では金曜日の夜と土曜日の夜はどこでもドンちゃん騒ぎでストレス発散だった。日曜日からまた次のエッセイの準備に入る。日本の大学生のようなアルバイト漬けはできない。

戦争に負けたことのない国−イギリス

イギリスは島国なので、敵を上陸させたことはありません。ナポレオン戦争のときもフランス軍を上陸させませんでした。第二次世界大戦のときもドイツ軍を上陸させませんでした。一度も戦争に負けたことがない国なので、七つの海を支配した大英帝国意識が今でも強く残っています。すごいエリート意識があります。

British politics(英国政治)という講座があって、生意気な若い講師で、ゼミでは机に脚を上げて授業をするんです。それで僕がエッセイを出すでしょう。そうすると赤ペンで添削してくれるんです。ここはatじゃなくてinがいいとかね。南アフリカの政治で人種差別反対だとアパルトヘイトについて書いたことがあったんですね。この講師はアパルトヘイトも知らないんですよ。

彼の授業で“Decline of England”という長文のエッセイを書いたんですね。declineというのは没落(ぼつらく)で、「イングランドの没落」。イギリスというのはイングランドウェールズスコットランド北アイルランドの4つの地域からできている連邦の一種なんですが、話の筋はこうです。昔、アングロサクソンはオランダやデンマークのあたりにいて、それからイングランドに来て、イングランドからウェールズとスコットランドを併合して、北アイルランドに攻めていった。それから大英帝国で世界中を植民地にしていった。

ところが第二次世界大戦後はそれがだんだん負けていって、今のイギリスだけになった。そのうち北アイルランドも独立するだろう。スコットランドも分離するだろうと。ウェールズは残るかもしれないけど、元のちっちゃなイングランドになるだろうと書いたんです。

これは若い講師にしたら頭にくるわけですよ。「何でおまえ、そんなことがわかるんだ」と。「だって今までの歴史を見たらこうなるじゃないか」と、ゼミの皆の前で大激論ですよ。イギリスは蒸気機関を発明して最初に産業革命を起こしたんですね。車につければ蒸気機関車、工場につければ蒸気エンジン、船に乗っければ蒸気船。それでアフリカを植民地にして、インドを植民地にして、東南アジアを植民地にしてきた。

でも日本はファーイーストつまり極東なんですね。だから欧米の植民地主義者が来るんだけど一番遠いから最後だった。日本は植民地にならないために明治維新を起こして天皇中心の新しい国をつくった。そして富国強兵をスローガンにして当時の先進国を猛烈にマネた。それから日清戦争日露戦争を戦って第二次世界大戦で植民地主義者を追い返そうとしたんだと。日本は戦争には負けたけれども、実際当時考えた東南アジアも独立したじゃないか、インドも独立したじゃないか、アフリカも独立したじゃないか。日本がアジア・アフリカの解放を目指したとおりになったじゃないかと言ったんです。

これはこの学生寮の大先輩の大川周明(おおかわしゅうめい)博士の大東亜共栄圏(だいとうあきょうえいけん)思想です。この思想はイギリス人はもう大反対です。イギリスは戦争には負けたことがない国だから、プライドがすごく高いんです。まだ大英帝国で世界の7つの海を支配していると思っているんです。

若い講師が単位をくれないので、僕は大学院は卒業はしていないのです。政治学というのは価値判断があるわけですよ。だからいくら本当のことを書いても、価値判断が違えばダメはダメなんですね。「他の先生の評価も聞いてくれ」と言ったんです。そしたら植民地主義国のイギリスとフランスの教授はダメで、中立のカナダの教授はOKだった。

イギリスではお金はどうしていたかというと、私は私費留学なんですね。お金は全部自分で払っていたんですが、ロンドンで算数塾を開きました。すごい需要があるんですね。ロンドンにいる日本人たちは優秀な人が多いので、日本に帰ったら学歴社会だから、ここでも子供たちを塾に入れていい中学、高校に入れようとしているんですね。

当時、日本人の子供たちは月曜日から金曜日まで現地のイギリス人の学校に行っているんです。土曜日だけ日本人学校に来るんです。保護者はせっかくイギリスに来たから本場のイギリス英語を覚えさせたいというので、全日制の日本人学校をつくるのを反対したんですね。だから僕は日本人学校の近くの教会の一室を借りて土曜日だけの算数塾を開いたんですね。生徒は日本人学校が終わると集団で来るんです。保護者の要望は「日本式の九九を教えてほしい」というのがすごく多かった。日本は二二が4、二三が6で、九九81までで終わりですよね。ところがイギリスは12×12まで覚えないといけないんです。Twelve, twelve, one hundred forty fourと暗記するんです。どうしてかというとダースという12の単位があるんですね。だからダースをやるためには12×12まで覚えないといけない。日本人の留学生を2〜3人雇って算数塾をつくって結構もうかったんですね。私の英語専門塾の電話番号が掛け算なのは当時のなごりです(笑)。

イギリスからドイツへ

イギリスに2年いて日本に帰るんですが、アメリカ経由で帰るかヨーロッパ経由で帰るかと考えてヨーロッパ経由にしました。ユーレイルパスというのがあって、西ヨーロッパを回るのに1カ月いくらとか3カ月いくらというのがあるんです。その期間なら西ヨーロッパを何カ国行ってもいいんですね。僕はその3カ月分のユーレイルパスを買ったんです。

ドイツにイギリスで知り合ったガールフレンドがいて、ドイツに行ったときの話です。ガールフレンドの実家に行くまでの間に公園でリュックをベンチの上に置いて休んでいたんですね。今でこそバックパッカーと言いますが、当時はバックパッカーなんて言葉はないんです。全員がバックパッカーなんだから。ドイツ人のおばあちゃんが来て「ヤパニー、ヤパニー?」と聞くんですね。「ヤー、ヤー、ヤパニー」。おばあちゃんは「ならどうして旗をつけてないのか?」とドイツ語で聞くんですね。当時、バックパッカーの人はリュックの背中に国旗をつけていたんですね。「そうか、そうか」といって、ガールフレンドの実家に行って、「今、おばあちゃんにそう言われたから国旗をつくりたい」と言って白い布と赤い布をもらって自分でつくったんです。簡単ですよ。赤い布をハサミで丸く切って、白布に縫い付けてできたんだから。日の丸っていいね(笑)。

リュックに日の丸をつけて歩いていたら本当にすごくよくて、当時はまだ西ドイツと東ドイツが分かれていた時代で、東ドイツの中にベルリンがあったんですね。ベルリンも西ベルリンと東ベルリンがあって、西ドイツからその西ベルリンに行く高速道路が3つあって、ヒッチハイクポイントってもう決まってるんですね。そこに行ったんですが、各国のヒッチハイカーが山のようにいるんですね。僕が行ってリュックを車のほうに向けるでしょう。日の丸を見るでしょう。1台目が止まろうとしたんですよ。でも2台目がすぐ来たら、キキキキキーッと走り去って、2台目がポンと止まったんです。“Are you Japanese? ” “Yes, Japanese.” “Jump in!” もうそれで終わりですよ。普通はヒッチハイクするのにどこに行くとか、何か紙を見せたりね。かわいい女の子だけが手を上げて、交渉が成立してから男が現われたり、みんな苦労するんです。ところがドイツでは何もしないの。日の丸だけでいいんです。

中年の西ベルリンに住む男の人だったんですが、ベルリンの間の高速道路のレストランに入って、「食え、食え、食え、食え」。もう食べれないと言うのに、すごく親切なんです。西ベルリンのユースホステルに行ったんですが、普通はヒッチハイクはその近くまで行って降ろすんですね。後は自分で行けなんですよ。ところがその人はユースホステルの玄関まで送ってくれた。それで僕はお礼に5円コインを1個渡したのね。5円コインでも穴があいてる5円コインがありますよね。あれを渡したんです。ヨーロッパでは穴の開いているコインは珍しいんですね。彼はすごい喜んで言うんです。「俺の息子は明日、学校に行って『ジャパニーズコインだ』と言ってすごい自慢するよ」と。たった5円だけですよ。それなのにすごい感謝された。ドイツ人はすごい親日的なんです。どうしてかというと、やはり第二次世界大戦なんです。戦争で日本と組んで負けたからなんですよ。

ベルリンとニュルンベルクの話

西ベルリンではユースホステルに泊まりました。当時はベルリンの壁があって、西ベルリンから東ベルリンに入るときにチェックポイント・チャーリーという関所があって、そこを通っていくんですね。ジャパニーズ・パスポートを見せれば自由に行けるんです。東ドイツの人は通れないんです。僕はジャパニーズ・パスポートだから毎日のように行ったんですね。共産圏だから物価がすごく安いんです。東ベルリンに行っていろんな物を買って、西ベルリンに帰ってから食べるというふうにやっていたわけですね。

で、チェックポイント・チャーリーから入ったら若い男がついてくるんですよ。変だなと思ってまこうとしたんですね。まけない。一生懸命またついてくる。要するに秘密警察なんですよね。変なやつが来たら尾行するんですよ。僕の姿も長髪で、ヒゲもじゃの東洋人だから変なやつと思われても仕方ないんですが、まけないから、これはもう友達になることにして、僕のほうから話しかけて友達になって、毎日東ベルリンをガイドしてもらった。教会はどの教会に行っても、いつも工事中なんです。教会の外側を工事中の足場で囲んでいるんです。日本でマルクス主義の友達と議論したらマルクス主義は宗教公認だと言っているんですね。でも実際は違う。公認は公認なんです。でも写真を撮ったら足場の教会で、いつもドアは閉まっている。僕はその秘密警察に中を見たいと言ったんです。彼が牧師さんに身分証を見せて交渉したら中に入れさせてくれた。若いのにすごい力があるんです。

東ベルリンの観光名所に戦勝記念塔があって、そこでは守備兵が時間になると行進しながら交代するんですね。東ドイツの軍隊は足をこう上げて、昔、ヒットラーがやったあの方式なんです。西ドイツは普通の歩き方なんですね。「おまえのところは何だ、ヒットラーと同じじゃないか」と言ったら、「いや、違う、これはドイツの伝統なんだよ、しようがないんだよ」と言っているんですよ。東ドイツのほうがよっぽどヒットラーですよ。

西ドイツの中にニュルンベルクという町があるんですね。これは『ニュルンベルク裁判』といって戦後、ナチスのヘス副総統が裁判にかけられたところなんですね。裁判所跡の建物に僕が行ってパスポートを見せたら、「おまえはジャパニーズだ、よし、いい」と、若い男の事務員が中を見せてくれたんですよ。普通は見せないですよ。「あそこがヘスが座ったところだ」とか詳しく説明するんですよ。このドイツの『ニュルンベルク裁判』は日本の『東京裁判』と対をなす戦後の2大裁判なんですが、本質は裁判の形をかりた勝者の敗者への集団リンチですよ。インドのパール判事が「日本無罪論」を唱えたのは、不合法の集団リンチだからです。

実はこの「やまがた育英会駒込学生寮」の前身は「荘内館(しょうないかん)」なんですが、先程も少しふれましたが、荘内館の大先輩に大川周明(おおかわしゅうめい)博士がいます。民間人でただ一人、東京裁判のA級戦犯として起訴されたんですね。ところが被告席が階段になっていて東條英機(とうじょうひでき)のすぐ後ろだったので、裁判開始直後に目の前の東條英機の禿頭(はげあたま)をピシャリピシャリと叩いた(笑)。頭がおかしくなったとして裁判から外されてしまった。外されなければ、この戦争は「太平洋戦争」などではなく「大東亜戦争」だと論理的に主張したと思うんです。太平洋戦争というのは、勝者アメリカのPacific Warの訳です。しかし、地理的に見ても戦場は「太平洋」などではなく、「大東亜」の大きな東アジアだったんです。インド洋のアンダマン諸島まで戦場だったんですよ。欧米の植民地主義国からアジアを解放するのが目標だったんです。

日本のご先祖さまは欧米の植民地主義国が攻めてくる直前に明治維新をおこして植民地にならないようにしたんです。国内に中国の香港やマカオのような割譲地も絶対に与えませんでした。明治維新後にアジアの植民地解放をめざして反撃を開始し、日清戦争日露戦争を戦い、第一次世界大戦も勝ちました。脅威を感じた植民地主義国はABCD包囲網で日本を封じ込めようとしました。AはAMERICA(アメリカ)、BはBRITAIN(イギリス)、CはCHINA(中国)、DはDUTCH(オランダ)です。平和な今の時代からすればあのような無謀な戦争をなぜしたのかと皆がいいます。しかし、当時の日本ではあれしか方法が無かったのです。鎌倉時代の蒙古襲来のときのように国をあげて独立を守るために戦うしかなかったのです。神風特攻隊の青年は絶対に犬死などではありません。今日の日本があるのは彼らのお陰です。日本は戦争には負けたけれども、彼らの命と引き換えに今の日本の独立があるのです。皆さんは友人にどんな学生寮にいるのかと聞かれたら、大先輩に大川周明がいた所と自慢してくださいね。

ニュルンベルクの駅にビアバーがあったんですね。僕がビールを飲んでいたら、後ろから中年のおじさんが、リュックの日の丸を見て、“Are you Japanese?”と聞いてきて、大ジョッキをおごってくれたんですね。だんだん酔いがまわってきたら、「おまえ、何でここにアメリカ兵がいるかわかるか」と言うんですよ。テーブルのすぐ向こうで軍服姿の2人のアメリカ兵が飲んでるんです。「うん、知ってるよ。すぐ近くにアメリカ軍基地があるから」と言ったんです。「そうだ、俺たち、もう1回組んでこいつらをやっつけよう」と言うんです。英語でしゃべっているんですよ。当然アメリカ兵にも聞こえているんですよ。堂々と言う。

ただし、“without Italy”(イタリアを除いて)と付け加えた。日独伊三国同盟でイタリアは簡単に降伏したから信用されていないんです。日本は原爆を落とされる最後まで戦ったから、ドイツ人には信用があるんです。

イギリスにいたとき、ガールフレンドが2人いましたけど、ドイツ系です。ドイツのガールフレンドとスイス。スイスの中でもドイツ系です。スイスは4つの民族がいるんですね。ドイツ語とフランス語とイタリア語、ローマニッシュ語という昔のローマの言葉なんですけど、フランス系はだめ。ドイツ系は彼女のほうから来るんです。あるドイツ人のガールフレンドは「ドイツの国際結婚率で一番多いのは日本人男性とドイツ人女性だ」と言った。本当かどうかは知らないけれど(笑)。

ハンガリーからギリシャへ

西ドイツの次はハンガリーに行ったんですね。ハンガリーも共産陣営でした。1956年に「ハンガリー動乱」というのがあって、ハンガリー市民がソ連から独立しようとしたんですね。そうしたらソ連の戦車が入って民衆を弾圧したんですね。その跡を見たかったんです。町中に赤い布のスローガンがたくさんあるんです。東ドイツだってあんなものないですよ。僕は日の丸のついたリュックを背負って歩いているでしょう。長髪でヒゲもじゃで赤いハットの変な東洋人ですよ。普通の国では、右側が店側でウインドウがあるとするでしょう。普通の国では僕の右側を追い越して左側の僕を見て、ニヤッと笑って通り過ぎるんです。ところが、ハンガリーでは左側の僕とは反対側の右側のウインドウを見て、ウインドウに映った僕の姿を見るんです。周りに密告者がたくさんいるから、そんな変な外人を直接見ていたら密告されて危ないんですね。東ドイツよりハンガリーの人々はおびえていると感じたんです。

東側の共産圏の国は初めに入るとき現地通貨に両替をしないといけないんですね。両替をして余ったら経済的に苦しいからもう戻してくれないんです。それだけ使わないといけない。でもハンガリーは物価が安い上に、民宿のおばちゃんがハンガリーのお金ではなくドルで払うように言うんです。自分の国のお金を信用しないかわいそうな国ですよ。お金が余ったんで、でっかいサラミソーセージを買いました。あれは日もちがいいわけですよ。ハンガリーからスイス・フランス・スペインまで持った(笑)。

イタリアの首都ローマに「トレビの泉」というところがあるんですね。トレビの泉に後ろ向きにコインを投げ入れるとまた戻ってこられるという伝説があるんですね。だから観光客は皆こうやって投げているわけです。写真を撮ったりして。僕は小さなどこかの国のコインね。「どうしようかな、どうしよう」。こうやって投げて、「ああ、ああ、やばい、やばい、やばい」と投げるんだけれどキャッチして、「うーん、どうしようかな」と言って、最後に入れないできました(笑)。それぐらい貧乏旅行だったんですね。だからトレビの泉にもう行かない。行かなくてもいい。

イタリアではホテル代を浮かすために、列車泊にしました。夜、イタリアを出て真夜中に西ドイツに着いて、またイタリア行きに乗ると朝イタリアに着くんです。途中のスイスでは、回ってきたスイスの職員にパスポートを見せるだけ。ユーレイルパスは便利だった。このヨーロッパ共同体を世界に広げれば「世界連邦」はできると確信しました。

イタリアから船でエーゲ海の美しい夕日を見ながら、ギリシャに行きました。ギリシャで驚いたのは雑然とした庭ですね。それまでのヨーロッパの庭は円と直線と左右対称なんです。フランスのベルサイユ宮殿の庭が典型ですが、道も植木も直線、花壇は円。噴水は下から上に上がるでしょう。ヨーロッパ文明というのは反自然なんですね。ヨーロッパ文明はこの反自然を美しいと思うんですね。ギリシャはそうでもないんです。案外野放しなんですね。日本の庭はかなり手入れをするけれども、自然の本質を残そうと手入れするわけです。ヨーロッパの庭とは反対の思想です。円と直線と左右対称はないんです。水は滝として上から下へ流れます。盆栽を見てもわかりますが、植木は曲がっていて自然の美しさを活かそうとしている。ヨーロッパ文明は違うんです。例えば木の枝を切りますよね。日本は切ったままです。切ったところが朽(く)ちてくると価値が出るんです。ヨーロッパは切ったところにペンキを塗るんです。何であんな反自然の必要があるのかなと思うぐらいです。ギリシャは自然と反自然の中間ぐらいと感じました。

大学院が終わってから日本に帰るとき、アメリカ経由で帰るか、ヨーロッパを回って帰るかという選択だったんですね。この際だからってヨーロッパをずっと回って、ギリシャまで来て、ギリシャから日本への飛行機のチケットを持っていたんですね。でも旅行していると楽しくて、もっと旅行したいと思うんですね。思い切ってチケットを安く売ってしまいました。

シリアのユースホステルにて〜キリスト教徒とイスラム教徒の大激論

安く売ったチケット代でギリシャから地中海を越えてシリアに入りました。飛行機から見たのは砂漠なんですよ。それまでいたヨーロッパは草原なんですね。一種のカルチャーショックでした。

シリアの首都ダマスカス空港に着いて、入国書類にそれまでのヨーロッパにはなかった「宗教欄」があったんです。Nothing(無い)と書いたら、「無宗教者は入国させない。何か書け」と言うんですね。イスラム圏では無宗教者はマルクス主義者と見なされて入国させないんです。私自身は無宗教なんですが、仕方がないからBuddhism(仏教)と書いた(笑)。田舎にはご先祖様や親のお墓があるから、ウソではない。

シリアの首都ダマスカスのユースホステルに入ったんですが、ユースホステルの中ではキリスト教青年とイスラム教青年が何人かで大激論をやっていたんですね。話の内容をまとめるとこのようになります。キリスト教には旧約聖書新約聖書があるんですね。彼らの考え方は、神がいて、神と人間が契約したんですね。キリスト前の神との契約は旧約聖書で、キリスト後の契約が新約聖書です。旧約聖書はユダヤ教の聖書です。

イスラム教もやはりユダヤ教の上に成り立つんですが、マホメットという人がいます。これはサウジアラビアのメッカの人なんですけれども、7世紀に洞窟の中で瞑想(めいそう)をしていたら天使ガブリエルが耳元でささやいたんですね。「コーラン、コーラン」って。暗唱という意味です。「これから神の声を言うから暗唱しなさいよ」と。それでマホメットの秘書がそれを文字に書きあらわしたのがコーランというイスラム教の聖書です。

はじめは天使ガブリエルがマホメットに言ったんですけれども、だんだんマホメットが適当に秘書にしゃべったものがそのままコーランになったんですね。だから、イスラム教はキリスト教の旧約聖書と新約聖書の関係と同じ二重構造を持っています。ユダヤ教の聖書の旧約聖書は同じもので、キリスト教の新約聖書にあたるものがイスラム教のコーランです。

イスラム教徒がキリスト教徒を攻撃するときは、旧約聖書と新約聖書のちょうど境目を攻撃するんです。キリスト教では、神が聖霊をマリア様のお腹の中に入れたんですね。それでマリア様が妊娠してできた子供がイエス・キリストなんです。だからイエス・キリストは神の子ということになっているわけです。それで天使ガブリエルはマリア様に対して、「マリア様、あなたは妊娠しましたよ、それは神の子ですよ」と言ったんです。これを「受胎告知」といいますが、天使ガブリエルがキリスト教とイスラム教のどっちもいるんですけれども、役割が違うんですね。

だからイスラム教徒側からすると、「そんなの、神が子供をつくるなんてとんでもないじゃないか」と。マリア様は大工のヨセフという旦那さんがいるんですよ。だから「マリア様が不倫したのか」ってワンワン言うわけですよ。キリスト教はこれが一番弱いところで、この神と聖霊とイエス・キリストの3つの関係が長い間うまく説明つかなかったんです。ところが、13世紀にトマス・アクィナスという天才神学者が出て、「この3つは神と聖霊と神の子の三位一体だ、トリニティだ」という理論にしたんですね。この三位一体論でキリスト教徒の中にもくすぶっていた神の子論が一応は終息したんです。

イエス・キリストの誕生日がクリスマスだというのはウソ

ついでに言うと、イエス・キリストの誕生日がクリスマスだというのはウソです。古代ローマではキリスト教徒が迫害されたので、古代ローマの人々が信じていたミトラ教太陽の子誕生伝説を利用して、イエス・キリストは神の子で、太陽の子と同じだから12月25日の一番日の短い冬至の日に生まれたとしたのです。この理論でキリスト教はミトラ教を滅ぼしたのです。宗教は布教のためには利用できるものは何でも利用するんですね。聖書にはイエス・キリストの誕生日は書いてないんですね。書いてないことを利用してミトラ教を乗っ取ったんです。ミトラ教は古代ゲルマン民族の宗教だったんですね。世界各地にある太陽信仰の1つです。日本の神道もご神体はアマテラスで太陽です。神棚に太陽をまつると火事になるので代わりに似たようなカガミをご神体にしています。

宗教は自分の信者を増やすために信者に友人・知人を勧誘させます。私の学生時代に猛威をふるったキリスト教系のオカルト宗教の統一教会(原理研究会)の場合は1週間ぐらいの合宿に誘います。合宿では〇〇大学教授とか△△大学助教授という肩書の人が哲学的な話しをして、それまでの常識を壊(こわ)します。寝る時間も少ないので発狂しそうになったところで、「実は・・・・と」この宗教の理論を説明します。ほとんどの参加者が洗脳されて信者になりますが、さらに合宿後には教会というところで集団生活させて世間から引きはなします。お互いをアダムさん(男)イブさん(女)と呼ばせ、親からもらった名前を使わせません。家族からも完全に引きはなします。芸能人の入信者も多く、教団本部のある韓国の首都ソウルで合同結婚式をあげます。教祖が決めた人だからと真面目な信者ほど納得します。

イスラム教徒がキリスト教徒を攻撃するもう一つの理由は「偶像崇拝」です。旧約聖書でモーゼが偶像崇拝を禁止したのに、キリスト教では十字架のキリストやマリヤ様に抱かれたイエス・キリストの像を拝んでいます。これは神に対する冒涜だというのです。神は目に見えないんだから偶像なんかにするキリスト教は堕落だというんです。私がイスラム教ではどうするか聞くと、サウジアラビアのメッカを拝むんですが、メッカの中ではカアバ神殿を拝みます。カアバ神殿の中では中央広場の黒石を拝むのです。この黒石は隕石だと言われています。私がやっぱり物を拝むじゃないかとイスラム教徒にツッこむと反論できませんでした(笑)。宗教はやはり何らかの偶像は必要です。

どうしてイスラム教が神学論争でキリスト教に勝つかというと、イスラム教は7世紀にできたものですね。キリスト教は2000年前の1世紀ですね。ここにかなりの時間差があって、マホメットのいた時代はキリスト教もユダヤ教もたくさん周りにいたんですね。それでキリスト教の弱いところはわかっていたので、マホメットはそれを改善してはっきりと「私は人間です。私は神の啓示を受けて話している預言者です。神の子なんかじゃない」と言っているんです。イスラム教のほうがずっと新しくて、神学論争で言えば後出しジャンケンで絶対イスラム教が勝つに決まっているんです。この2つの宗教はものすごく仲の悪い兄弟げんかみたいなものですよ。

イスラム教徒に私がアラー(神)の存在をどう証明するのかと質問すると、「とんでもない。人間が神の存在を証明できるはずがない。神は人間を、神の存在を証明できないように造ったのだから」との説明だった。すばらしい理論です。キリスト教の天才、トマス・アクィナスが神の存在証明をでっちあげようとしたんですが、できなかったのです。キリスト教はイスラム教に太刀打ちできません。

そのユースホステルで彼らから日本の宗教は何だと聞かれたので、「12月25日はクリスマスケーキを食べるからキリスト教だし、12月31日は大晦日で除夜の鐘を突きにいくから仏教だし、1月1日は元日で神社に行くから神道だ」と説明したら、全員からものすごいブーイングだった(笑)。日本では古来から、八百万(やおよろず)の神で「神はたくさんいてもいいんだ、神はケンカしないんだ」と説明しても分かってもらえなかった。

レバノン内戦見聞録

シリアの隣にレバノンという国があるんですね。ここはガイドブックを見ると中東のパリといわれるすごく美しい国なんです。ところがレバノンではこの2つの宗教が戦争をしていたんです。このレバノン内戦がちょうど停戦したということで、私とユースホステルで知り合ったアメリカ人青年が停戦後初めのバスで行ったんです。

シリアの首都ダマスカスからレバノンの首都ベイルートまではバスで数時間でした。国境の検問所には誰もいないんです。レバノンは国家の主権をなしていないんです。バスは夜にベイルートの中心部に着いた。かすかな光の中で、ビルというビルは大地震の後のように崩れている。遠くに灯が見えたので、2人で灯の方に歩いたんです。足元は砂利道のようなジャリジャリした音がした。灯の中からは我々の姿を見て、“peace come, peace come”(平和がきた、平和がきた)と叫びながらたくさんの人が出てきたのです。リュック姿の旅行者は平和の象徴なんですね。

レストランの主人が無料で食べさせるというので中に入った。多くの街の人々が私とアメリカ人の周りに集まってきた。私が日本人だと答えると歓声が上がった。アメリカ人がアメリカ人だと言うと睨んできた。空気が悪くなったので、私が「こいつは私の親友なんだ。いいやつなんだ」と言うと、レストランの主人は同じ食事をアメリカ人にも出してきた。これには理由があるんです。隣国のユダヤ人の国イスラエルとこの国レバノンはもともと仲が悪いのに、1972年に「日本赤軍(にほんせきぐん)」の3人がイスラエルのテルアビブ空港乱射事件を起こしたのです。3人のうち2人が射殺され、コーゾー・オカモトだけが生き残って裁判になって世界中が注視していたんです。だからイスラム教徒は日本人をイスラム教徒の味方と見ていたんですね。一方、レバノン内戦はレバノンの中のイスラム教徒とキリスト教徒の主導権争いで、アメリカはキリスト教徒に武器を送っていたから、アメリカ人はイスラム教徒の敵と見られたんです。

翌朝、2人でリュック姿で町の中心部に向かって歩いていたら、1人のヨーロッパ人が声をかけてきた。フランスの通信社だというんです。いろいろ話しているうちに実はユダヤ人で、イスラエルのスパイ組織「モサド」だと言った。「モサド」というのは世界最高のスパイ組織です。ユダヤ人は2000年前に国が滅亡し、世界各国に散っていった。散った先でも集団生活し、シナゴーグ(ユダヤ教会)に集まってユダヤ教を守り続けた。現地人と混血が進んだんですが、男の子にはユダヤ教の伝統の「割礼(かつれい)」をした。これは日本でいう包茎手術で、イスラム教徒もします。女の子には肉体的な証拠は残せないので、母親は必死になってユダヤ人意識を植え付けます。だから、どんな人種でもユダヤ人の母親から生まれた子供はユダヤ人なんです。「モサド」はその国の中に潜むユダヤ人を秘密裏に組織化しているから最高のスパイ組織になるのです。

モサド青年の案内で町を歩いていたら、前夜砂利だと思っていたのはマシンガンの薬きょうだった。彼は薬きょうを拾い上げてマシンガンを当てて、ここはキリスト教陣地がイスラム教陣地にとって代わられたなどと説明した。

町の中心の大通りが停戦ラインで、戦車が一列に並んでいたんです。私たち3人は戦車兵に手を挙げながら戦車の間を通り過ぎて、イスラム教徒地区からキリスト教徒地区に入ったんです。モサド青年の案内でキリスト教徒軍の本部ビルに入った。アメリカ人がアメリカ人だと言うと、キリスト教徒軍の何人かが握手を求めてきた。私が日本人だと言うと空気が凍りついた。アメリカ人が「こいつは私の親友で、いいやつなんだ」とフォローしてくれた。前夜のイスラム教徒地区のお返しだった。

10歳くらいの男の子が空手ができるかと聞いてきたので、イエスといって空手の真似をした。突然2階に駆け上がり、マシンガンを持って下りてきた。そして私にパッと照準(しょうじゅん)をあわせ引き金に指をかけた。モサド青年があわてて現地語で大声で何か言った。その子にとってこれが昨日までの日常で人を一人ぐらい殺しても何とも無いのだというんです。私は今でもあの光景を夢に見てうなされることがある。

イスラム教徒地区に戻って「日本赤軍(にほんせきぐん)」のうわさを聞き取りしていたら、アジトに連れていってやるという人がいて車で行った。少し小高い丘の上にあり、空爆を用心してか地面は厚いコンクリートで覆われ、1カ所だけ地下に下りる入口があった。そこには大きな南京錠がかかっていた。別のイスラム教徒軍の幹部が今はイスラエル近くに移動したので通行証を書くけど生きて帰れるかは保証できないというので、行くのはやめた。

世界連邦はヨーロッパを見て歩いたときは実現できると思っていた。しかし、レバノンでは難しいと思うようになった。世界連邦の考え方は国と国の利害を解決するために国の枠を低くするということなんですが、レバノンでは国の枠自体がほとんど無い。代わりに宗教対立がある。宗教が軍隊を持ち、土地を持つ。私は宗教をもっと研究しなければと隣国のイスラエルに入ることに決めた。

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宗教のデパート〜イスラエル

レバノンからヨルダンに戻って、ヨルダンからイスラエルに入ったんですね。普通、イスラエルに入るときは飛行機でテルアビブ空港に行くんですけれども、私は現地の人と一緒にバスでヨルダン川を渡ってイスラエルに入りました。イスラエルの首都エルサレムは、このユダヤ教・キリスト教・イスラム教の3つの宗教の聖地なんですね。ヨルダン川も見たかったんです。イエス・キリストの師匠がバプテスマのヨハネという人なんですね。

イエス・キリストはヨルダン川でこのヨハネに洗礼(せんれい)を受けたのですが、教会の入口に水が置いてあるのは洗礼(せんれい)のためです。宗教は入信の証拠として何らかの物理的証拠を残させますが、ユダヤ教、イスラム教の証拠は割礼で、キリスト教は洗礼です。入信したら簡単には抜けれないようにするんですね。ヤクザの刺青と同じです。それからトボトボ砂漠を歩いてエルサレムに来て布教を始めたんです。だからヨルダン川を見たいなと思ってバスから見たらチョロチョロしか流れていない。あんなに有名な川が小さくてガッカリしました。かつてはもっと大きい川だったはずです。

地図でいうと、ここにガリラヤ湖があって、ヨルダン川があって、ここが死海(しかい)、Dead seaですね。ユダヤ人が第二次世界大戦中にここにダーッとイスラエルという国をつくったわけです。「シオニズム運動」というのがあって、2000年前に世界中に散らばったユダヤ人が戻ってきたんです。一番初めにやったのがゴラン高原の占領なんです。ここにゴラン高原があるんですね。この辺は高原地帯で、地中海がこうあると、風がこう西から東に吹いてきて、このヨルダン山脈に風が当たって雨が降るんですね。そこを占領したんです。そして、ヨルダン川をせき止めて水を確保したというのがイスラエル人・ユダヤ人の頭のいいところですね。それでここからイスラエル中に地下パイプを引いているんです。ヨルダン川のヨルダン側は砂漠地帯なんですね。バスでヨルダン川を越えるとイスラエル領土で緑が青々なんですよ。小麦がどんどんなる。スプリンクラーがバンバン回っているんです。水の有無によって生活水準が全く変わっていました。

イスラエルの入国審査はすごい厳しかった。ジャパニーズでしょう、テルアビブ空港襲撃と同じような年齢でしょう、だから別室に連れていかれてメチャメチャにやられた。世界中の入国審査では一番厳しかった。でも僕は何にも悪いことはしないから正々堂々と審査を受けて堂々と入った。キブツという集団農場に興味があったんですね。友達のマルクス主義者がキブツはすばらしいんだと力説していたわけです。ソ連にはコルホーズソホーズという集団農場があって、そこでは私有財産がなくて、みんな平等に暮らしているというんですね。キブツも同じ思想でできたものです。イスラエル人はいろんな国から来たんですけども、東ヨーロッパやソ連から来た人たちがそのキブツ思想を持ってきたんですね。働く場所がなかったから自分たちで砂漠の中にキブツという集団農場をつくって、水を引いて、土地を耕して、そこで生活しているんです。

私がボランティアで働いていたのはこの辺のイスラエルでも中央部のキブツなんですが、国境にあまり近いと危険だなと思ったんです。中東戦争というのは第二次世界大戦後の1948年から1973年の第四次まであるんですね。だから国境と近いところは危ないんですよね。大砲が飛んでくるし、戦車が来るし。だから真ん中辺ならまあいいだろうと。キブツは周りに木をずっと植えています。つまり戦車でやられた経験があるから、木を植えて戦車が来ないようにしているんですね。ユダヤ人は迫害の歴史を持っているので、防衛意識がすごい強いです。

僕がいたときにボランティアで外国人が結構キブツに来るんですね。その外国人用に修学旅行をやるといって、バスに乗ってシナイ半島を見にいくときがあったんですね。ちょうどそのときに軍事訓練があったんです。あれは突然やるんです。そうしたら予備兵が皆、完全武装で道路にボンボン出るんですね。女性もいるんです。徴兵制なんですけど、女性も完全徴兵なんですよ。道路に出たら、今度、おじいさんたちが自分の自家用車を運転して道路に出るんです。おじいさんたちはもう戦争には行かないんですが、道路に出て兵士を兵舎まで送るんです。どの兵舎に行くのか大声で呼びかけていました。途中のガソリンスタンドは無料です。おばあさんたちは兵士に水と食料を窓からバンバン渡します。ダーッと動くんです。停まっていたバスの中からずっと見ていたんですね。その大混乱が30分ぐらいで終わるんです。ものすごく組織されています。

キブツの地下に武器庫があって、武器をそこに備えつけてあるんですね。イスラエルはすごい、ある意味では強いと思いますよ。キブツで親しくなったユダヤ人の話では、敵の捕虜(ほりょ)になったら「知っていることはすべて話せ。話してもまたドンドン変えるから心配するな」と教育されるそうです。そして元気なままで生きて帰って、またユダヤのために尽くすのです。日本の旧軍の「生きて虜囚の辱めを受けず」とは価値観がまったく違います。今、核兵器も持っているんですよ。私がいた当時イスラエルがやったのは、イランで核開発しているところを爆撃したんですね。爆撃する前にイランの核開発を止めるためにモサドという世界最強のスパイ組織が、パソコンのUSBに差し込むメモリースティックがありますよね、あのスティックの中にウイルスを入れたんですね。当然、イランの核開発施設の中でもウイルス防御しているから普通はだめなんだけど、従業員用入口の下に落としておいたというんですね。それを、「これは俺、使おう」と思って、ある人がパソコンに挿したらウイルスに感染したというんです。それも徐々に、徐々に感染する。メーターが少しぶれたりなんかする。気づいたときは全部にウイルスが行っている。そのウイルス作戦の証拠を隠すためにイスラエルからイランまでの長距離をレーダーに映らないように低空飛行して爆撃したんです。さらに爆撃が失敗したときのためにモサドが施設の中の火薬も爆発させました。テレビのドキュメンタリーで流していました。ITのレベルはすごく高いんですよ。自分は核兵器を持っていて、相手に持たせないいろんな方法を使うんですね。今はIT戦争の時代になってきているから、イスラエルはさらに強くなりますよ。

イスラエルの中にガザ地区という昔からアラブ人がたくさん住んでいるところがあって、僕は1人でガザ地区を見に行ったんですね。ユダヤ兵がいつも完全武装で歩いているんです。アラブの住民がすごい敵がい心で見ているんです。「あ、これは危ないな、長くいないほうがいいな」と僕はすぐ戻ってきた。

キリスト教の総本山の変な牧師さんたち

この首都エルサレムに3つの宗教の聖地があるんですね。まずユダヤ教は「嘆きの壁」と言われます。昔のユダヤ教の神殿があったところの神殿の壁の一部が残っているんですね。その前でユダヤ人がお祈りをしながら泣いている。たくさんのイスラエル兵が守っていました。その上にイスラム教の「岩のドーム」があるんですね。これはマホメットがここからアラーに会いに宇宙に飛んで帰ってきたところだとなっています。マホメットは人間だから酸素不足で死んだはずなのに生きていた(笑)。僕はイスラム教のその有名な寺院を見ようと思って、近くに行ったんですね。そうしたらイスラム教の兵士がいて、「おまえはだめだ」と。「俺はイスラム教徒だよ」と。「じゃおまえ、コーラン言ってみろ」と。「日本語のコーランは日本語だから、おまえにはわからないよ」と口論になった。「そんなはずはない」と言われてダメだった。コーランを覚えてからもう1回行こうと思っていたけどやめた。コーランは世界共通なんですね。イスラム教かどうかを判断するのはコーランを言わせればいいんです。すごくシンプルです。キリスト教はイエス・キリストが死んだゴルゴダの丘が、やはりここにあるわけです。漫画の「ゴルゴ13」はイエス・キリストが死んだ日のゴルゴダの丘の13日からとりました。不吉なタイトルです(笑)。

イエス・キリストが死んだゴルゴダの丘は、今はでっかい教会になっています。昔、十字軍が行って、造り直したんですね。聖墳墓教会の真ん中にこういう長方形の古い小さい石の建物があるんですね。昔はそれだけだと思うんだけど、雨風から守るために大きい教会を作ってすっぽり囲んでいました。この建物のここにローソクが10本ぐらいあって、牧師さんがここにいて、ローソクを買えば中に入れるんですね。結構高いんですよ。ここまで来たからと思って清水の舞台から飛び降りるつもりでローソクを買って中に入ったんですね。牧師さんが、ここがイエス・キリストの墓で、中にdead body(死体)があるというんですね。「天に昇ったはずなんだけどな〜」と思いながら僕は出て、ここをずっと回って後ろに行ったんですね。そうしたらまたここにまた別の牧師さんがいるんですよ。手招きをするんですよ。“You can touch Jesus Christ dead body.”(イエス・キリストの死体にタッチできる)と言うんですよ。「えっ、“Jesus Christ dead body”といったって天国に行ったはずだよ。何でdead bodyがここにあるの?」と思ったんですね。

ここに小さいテーブルがあって、黒い布がかかっているんですね。それで牧師さんがチラッチラッと布を上げて中を見せるんですよ。「えっ、dead bodyを見せるの?」。ついてはお金をいくらいくらと。要するにキャバクラの客引きと同じですよ。正面のローソクの何倍もして、ものすごい高いんですよ。でもここまで来たんだからdead body(死体)を見たいと思ってお金を払ったんですね。黒い布を開けたら、四角い石と四角い石の隙間に小さい穴があるんですよ。この穴の周りは黒光りでテカテカしているんです。何百年間もきっとこれをやってきているから手垢がついているんです。そこから手を入れたんですね。何もないんですよ。砂利でもいいからとろうと思ったんだけど、それもない。何百年の間には子供もいてかなり中まで手を入れたと思うから、dead bodyなんて初めからないんですよ。このキリスト教の総本山の教会は4つの宗派が共同管理しているんですね。カトリック教、プロテスタント教、ギリシャ正教、アルメニア正教なんですが、これらの総本山の牧師さんたちは堕落しているんですね。世界中から来る信者をお金のためにだましているわけですよ。魚は頭から腐るというけれど、人間の組織も同じです。総本山があれでは末端の真面目なキリスト教信者はかわいそうですよ。

次にイエス・キリストが生まれたというベツレヘムの聖誕教会に行ってみたんですね。イエス・キリストはここの馬小屋で生まれたとなっているわけなんですが、十字軍がいたときにやはり立派な教会にしたんですね。教会の2階は十字架がある教壇。その教壇の下にイエス・キリストが生まれたところがあると言うんですよ。階段を下りて1階に行くとき、やっぱりお金をすごいとるんですね。仕方がない、ここまで来たからと大金を払って1階に下りていったんです。何人かの観光客と一緒です。2階の十字架の真下に大理石の舞台があるんです。その真ん中に直径1メートルぐらいの浅い丸い穴があるんですね。ここでイエス・キリストが生まれたというんですよ。丸い穴のそばに立った牧師さんが、東から3人の博士が来たという話をしてから、おばちゃんがここにいたんですね。「あ、3人の博士、あなたが今いるところ、そこにいたんです」。おばちゃんは「エエッ」とやるんだ。うまいね、あれは。吉本よりうまい。あの人を吉本に呼んだら吉本はもっともうかると思うんだけど(笑)。

ユダヤ人は科学的思考をします。ユダヤ教の聖書はキリスト教の旧約聖書なんですが、その中の「出エジプト記」では、モーゼに率いられてエジプトから逃げてきたとき海が割れた。ユダヤ人が渡り終わったとき、海が戻ってきて追ってきた多くのエジプト兵が死んだということになっています。何人ものユダヤ人に質問しても、重力があるからそんな非科学的なことはウソだということでした。実際は今のスエズ運河のあたりは湿地帯だったので、ユダヤ人は土地の案内役の先導でうまく渡ったのに、エジプト兵は案内役がいなかったから深みにはまったとの説明でした。2000年間も現実的に生き抜いた民族だけのことはあります。アラブ人はユダヤ人を地中海に追い落として、イスラエルの土地をアラブに取り戻すといいます。イスラエルの建国はつい先日の第二次世界大戦後だから、この可能性はかなりあります。しかし、ユダヤ人は2000年もの間、他国で生き抜いてきた人達ですから、ユダヤ教という1つの宗教を信じ続けるかぎり滅びることはないでしょう。私は宗教には反対ですが、宗教にはこのような強さがあります。

1度目に死にかけた話

イスラエルから来た道をヨルダンに戻って、トラックをヒッチハイクしながら新・世界七不思議の1つのペトラ遺跡を見に行きました。昔はこの辺にはもっと雨がたくさん降って、たくさんの人が洞窟住居に住んでいたんですが、だんだん乾燥して人がいなくなり洞窟だけが残ったんです。普通、観光客は岩山の間の細い砂地の道を通っていくとき馬の背に乗って行くんですね。僕はお金がなかったから、歩いていったんですよ。そうしたら遺跡から帰ってくる観光客を乗せた馬子が「危ないから帰れ帰れ」と言うんですよ。まだ明るいから無視して歩いていたら、急に日が暮れたんですね。遠くからウォーっと声がするんですよ。以前、スペインのジプシー部落に行ったとき、数匹の野犬に襲われたことがあったんですね。落ちていた棒を刀のように振り回してなんとか助かったんですが、これは危ないなと思って崖を登って崖の上に行ったんですね。そうしたらオオカミか野犬かはっきりしないけど何頭も走って来るんですよ。これは危ないと漫画の「ゴルゴ13」の防衛方法を思い出してリュックを置いてバーッと走っていって、崖を背にして小高いところに立ったんですね。スペインのときは草原地帯で木の棒が落ちていたんですが、ここは砂漠地帯の岩山だから木は生えていない。20匹ぐらいがウー、ウーやるんですよ。1匹が左足に食いついてきたので右足のトウキックで腹を蹴ったら離れた。高校時代はサッカー部のキャプテンだったんですが、無意識のうちに出たサッカーの技が命を救った。あるいはね、飛ぶんですよ。ウォーッて首めがけて飛んでくる。バッとしゃがんで石をとって大声を出して投げているうちにボスがわかったんですね。ボスに向けて投げた。何回かやっているうちにボスに当たったんですね。そうしたら逃げていった。

僕は1度行ったところにもう行く気はないんだけど、あそこだけはもう1度行ってもいい。あれがオオカミだったのか野犬だったのか、それだけを判断したい。その日の夜は、いろんな洞窟住居があるんだけど、1つの入口の小さい洞窟を選んで石を運び込んで朝までずっと火を燃やした。後日談になりますが、ある時テレビを見ていたら、エチオピアオオカミが出てきたんです。私の目に焼きついていたあの動物です。エチオピアヨルダンでは地理的にも近いので、きっとこのオオカミです。これが1度目に死にかけた話です。

パキスタンのモヘンジョダロの村

次にインドまで陸路で行ったんですが、ヨルダンからトルコを経て、トルコからイランに行って、アフガニスタンを通ってパキスタンに着いたんですね。アフガニスタンは現在は戦争をしていますが、当時はまだ陸路で通れたんですね。

アフガニスタンからパキスタンには有名なカイバル峠を歩いて越えました。アレクサンダー大王三蔵法師も通ったこの峠を実感したかったのです。

パキスタンに入った森の中に小さい汚い茶店があったんですね。遠くから見ると黒い机なんです。「珍しいな、材質は何だろう」と思いながら近づいたら、ハエがビッシリついていました(笑)。手を置くと手の所だけ飛び、手を動かすとすかさず空いた所に戻るんです。カイバル峠からパキスタン側はそれまでのコーヒー圏から紅茶圏に変わったんですね。パキスタンはサトウキビがとれるからすごく甘い紅茶なんです。机も古くガタガタしているから紅茶がこぼれるんですね。だから机が甘いからハエがビッシリ吸いついているんです(笑)。

カイバル峠を境にコーヒー圏から紅茶圏に変わったのは理由があります。紅茶文化のイギリスがインド・パキスタンを植民地にしてから、カイバル峠を越えてアフガニスタンにも攻めていったのですが、失敗したのです。植民地主義国が成功するためには、初めに宣教師を送ります。そしてキリスト教徒を内部に増やしてから軍隊を送り、植民地にします。ところがアフガニスタンは完全な砂漠地帯でキリスト教が受け入れられる自然環境にありません。キリスト教は神・精霊・イエスキリストの三神教なので砂漠でもなくモンスーン地帯でもない中間の自然環境でないと長続きしません。アフガニスタンは完全一神教のイスラム教の天下です。その後、ソ連が攻めていきましたが、マルクス主義という宗教も負けました。今はアメリカが攻めていっていますが、いずれ負けます。植民地主義は宗教で現地の人々をある程度は洗脳できないと成功はしないのです。日本が植民地にならなかったのは、鎖国してキリスト教が入らないようにしたのが大きな要因です。

パキスタンでは、モヘンジョダロの遺跡を見にいきました。世界四大文明があるんですが、エジプト文明メソポタミア文明インダス文明黄河文明です。地図のここにインダス河があって、インダス文明の中心地がモヘンジョダロなんですね。紀元前2500年ごろ最も繁栄していたといわれていますが、今は乾燥地帯で人はほとんど住んでいません。地球環境は短時間でかなり変わります。こんなにすごい観光資源なのにパキスタン政府は何もしていませんでした。小さな博物館すらないんです。

モヘンジョダロの遺跡を見て仕方がないから帰ろうとして、泊まるところがないんですね。野宿しようと思っていたら村の青年が話しかけてきて、「俺の家に泊まってもいいよ」と。「じゃ泊まらせて」と言ってその村にしばらく滞在しました。

旅をしていて、何が怖いかと言ったら人間です。オオカミなんかより人間なんですよね。人間は武器を持っているでしょう。だから野宿するときには人間がいないところで野宿します。人間がいるところでは野宿しません。人間に見つかって抵抗すると、男なら殺されるし、女なら強姦されます。どうすればいいかというと、その辺にいると必ず誰かが話しかけてきますから、友達になってその家に泊まるか庭先で寝るのがいいです。皆さんの中でこれから行く人、人間が一番怖いですよ。

そのモヘンジョダロの村で驚いたことがありました。その村人全員がキリスト教徒なんですね。どうしてキリスト教徒になったのかというと、第二次世界大戦が終わってインドがイギリスから独立しました。独立したら宗教戦争が始まったんです。インド古来の宗教がヒンズー教なんですが、イスラム教もここに入ってきているんですね。だからインドの中でヒンズー教徒とイスラム教徒が混在していたんですね。

イギリスの重石が取れたから、彼らが動き出して、主導権争いをしたんですね。インドの中心部に集まってきたのがヒンズー教徒で、周辺部に移ったのがイスラム教徒なんです。東側に移ったのが東パキスタンをつくって、今はバングラデシュという名前になっています。西側に移った人が西パキスタンをつくって、今はパキスタンとなっています。

このモヘンジョダロの人たちは本来はヒンズー教徒なんです。インド中央部に動いていかなきゃいけないんだけど、畑も何も捨てて動くのが嫌だってそのまま残っていたら、周りのイスラム教徒から攻撃されたんです。それで村全体が中立のキリスト教徒になったというんです。だから名前を聞いてみるとクリスチャンネームなんですね。女の子はメアリーがすごく多いんですね。メアリーというのはマリア様の英語読みで、My name is Mary.と言えば、「この子はキリスト教徒だから殺さない」となるわけです。男はトム。トムはトーマスの英語読みですね。ジョンはヨハネですね。だから皆はっきりキリスト教徒ってわかる名前なんです。

宗教は変わらないと思う人が多いと思うけれども、実際は宗教は単なる道具ですよ。この村の人は生き残るためには宗教という道具を変えてきたんですよ。宗教を守り抜くためには殺されてもいいと言う人もいます。しかし、宗教は人が頭の中で考えたものにすぎないんですね。発想を変えれば、宗教の奴隷にならないですみます。宗教に真面目な人ほど、自分を自分で洗脳する真面目な宗教の奴隷になります。

この村でもう一つの収穫がありました。ブタです。ユダヤ教とイスラム教では、ブタは不浄な動物だから食べてはいけないんです。誰に聞いても理由は神がダメと言っているからとのことなんです。イスラエルのキブツにいたとき、すごく上等なハムが出たことがありました。大食堂の半分ぐらいの人が残したんです。僕はラッキーだと思ってバンバン食べました(笑)。なんでもキブツ総会で大激論があって、豚肉を出す方が勝ったとのうわさでした。その後のイスラム圏では豚肉は全くなかった。

神は人間が頭の中で作ったものだから、本当の理由があるはずだとずっと観察していたのです。田舎の村にはトイレはないので、大便は近くの草原でしゃがんでやります。すると放し飼いのブタがついてくるんです。僕が出そうとして頑張っていると、ブタが「早く出せ、早く出せ」と鼻でお尻をつついてくるんです(笑)。硬い大便のときは、くわえてからこんな風に一度離してから口の中に放り込んでうまそうに食べます(笑)。下痢便のときはうまそうに舐めます。ブダ同士は自分たちの大便を食べるのか見ていると、さすがに食べませんでした。きっと人間の大便には未消化の栄養物がたくさんあるのです。同じ動物でも人間は贅沢(ぜいたく)なんですよ。将来、地球環境が変わって食糧不足になったら、人類はブタより先に滅びるはずです。

ユダヤ教とイスラム教でブタがだめなのは、これらの宗教が砂漠から出てきたからです。砂漠は乾燥しているので大便はいつまでも残ります。早く処理するためにブタに食べさせます。ヨーロッパのキリスト教は大便を川に流します。モンスーン地帯から出てきたヒンズー教と仏教では雨が降るから大便は早く腐ります。だから汚物処理係でないブタを食べます。

大便を食べ続けるブタを長い間見てきた砂漠の人間が、ブタを不浄な動物と思ったのは当然です。古来からいろいろな宗教が起こっては消えていきました。人間に信仰されない宗教は消えます。生き残るために宗教は人間の常識に適するように進化してきたのです。宗教は人間を変えますが、人間も宗教を変えます。現在、生き残っている宗教はこの相互作用がうまく機能している進化した宗教です。ダーウィンの進化論は生物だけでなく宗教にもあてはまります。

インドでヨガの行者になる

パキスタンからインドの首都ニューデリーに行きました。ニューデリーに日本大使館があって、そこに日本からの手紙をもらうようにしていたんですね。私がニューデリーに着いたとき、日本円にして400円くらいしかなかったんです。このままでは帰れないので、日本からお金を送ってもらうことにしていたんですね。ニューデリーの日本大使館に行ってジャパニーズパスポートを見せたら、手紙を渡してくれるんです。日本は親切ですよ。日本ってすごくいい国ですよ。

戦後、満州からの引揚者も、シベリアからの抑留兵も、私の父のような戦場からの帰還兵も、必死になって日本を目指してきました。これは「日本に帰ればなんとかなる」という日本の国に対する無意識の信頼があったからです。日本は戦争には負けたけれどもこの信頼だけは守り続けた。日本の国もこの信頼に応えてきました。日本の国を信じることができる日本人はとても幸せです。私は日本大使館でこの美風は絶対に守らなければならないと思いました。

お金を送ったという証明を持って銀行に行ったら「お金が来ていない」と言うんです。何度行っても「お金が来ていない」の一点張りなんです。後でわかったんですが、インドは外貨不足だからすぐには渡さないんですね。平気でウソをついていたんです。日本とは倫理観がかなり違います。

それでどうすればいいかと考えて、インドというのはヒンズー教の国でカースト制度があるんです。階級社会。日本で言ったら士農工商穢多非人(えたひにん)みたいなやつですね。カーストは30何階級あるというんですよ。一番偉いのはお坊さん。お坊さんは黄色い服を着ているんです。だから所持金400円くらいのうちの300円くらいを出して黄色い服を買いました。市場にはつるしでいろいろな服があって、黄色い服も幾つか売ってるんですよ。それを買って、それを着たの。着たらもうお坊さんなの(笑)。お坊さんだからいろいろなヒンズー教寺院があるでしょう、そこに行ったらフリーパスなんですよ。食事もタダだし、泊まるのもタダなの。インド人は何でそれをやらないのか分からない。

要するに「あなたは何カーストなのよ」と子供のときから洗脳されているわけです。だから一番偉いお坊さんになるなんて思いもしないんですね。インドには生まれかわりの思想があるんですね。「前世でいいことをした、だから今、このカーストだ」。「今、悪いことをすれば来世はカーストが下がる」という考え方なんですよ。普通のインド人と話していても、「おまえは前世でいいことをしたから、今ジャパニーズなんだ。俺はインド人だけれども今いいことをしているから、来世はジャパニーズになるかもしれない」。始めは冗談かと思ったけれども本気で信じているんですね。僕は外人だから、そんなのは信じないから、生き延びるためには黄色い服を着て、ヨガの行者に変身してずっと食べて歩いたわけです(笑)。

いろいろなヒンズー教寺院を渡り歩いて、最後にヒマラヤの山の奥のヒンズー教寺院に行きました。夜になるとトラの遠吠えがします。夕方になるとコウモリが飛び始めるんですね。10メートルぐらい先の人の顔が見えなくなるんです。コウモリがダーッと飛ぶんです。大きいのも小さいのも。だからまだ明るいのにコウモリで相手の顔が見えなくなるんですね。新月の夜にはイノシシが集団で畑荒らしに来ます。待ち構えていて、音のする方に大声を出して石を投げるんですが、真っ暗だから当たらないんです。お坊さんの考え方は「イノシシに一部をあげていると思えばいい」とのことでした。ある朝起きたらクツの中にサソリが入っていたんですね。お坊さんに言ったらそのまま逃がしなさいとのことだった。くやしいのでハサミをちょん切って逃がした(笑)。

ヒンズー教は仏教と同じで生類憐みの思想があります。モンスーン地帯で自然が豊かだから自然のものを人間が独占してはいけないんです。そんな山奥ですが、ヨーロッパ人にも有名な寺院で、「セワヨガ」をやるところです。サンスクリット語の「セワ」が漢字では「世話」になりました。この「セワ」という意味は、労働というのが元の意味です。「ヨガ」というのは悟りを開く方法とか、悟りへの道とかという意味ですが、労働を通して悟りを開くというヨガなんですね。

今ここにいる学生の皆さんは資本主義社会にいるので、労働の意味が全然違うんですね。「何のために働くの?」と聞けば、「お金のため」というのが大多数です。これは資本主義社会の労働観なんですね。セワヨガでは「何のために働くの?」、「悟りを開くため」なんです。目的が全然違うんですね。お金のためという物質的利益ではなく、悟りを開くという精神的利益のために働くんです。

例えばここに土地がある。一生懸命耕すんです。先のことを考えないんです。悟りを開くために今ここを一生懸命耕すだけなんです。耕された土地がある。一生懸命種をまくんです。先のことを考えないんですね。悟りを開くために、今のこの瞬間に全力投球するんです。実がなった。悟りを開くために一生懸命収穫するんです。収穫された実がある。悟りを開くために一生懸命食べるんです。だから食堂ではみんなシーンとして食事するんですよ。食べるのも修行なんですね。一生懸命食べるんです。それを繰り返しているうちに悟りを開くというヨガなんですね。資本主義社会では物質的利益のために、談笑しながら食べると栄養になるよなどとやるわけです。

座禅用の小屋がちょっと離れたところにあるんですけれども、アメリカ人が「今度、俺、そこに入るから食事を持ってきてくれ」と言うんですね。「あ、いいよ」と言って、朝夕、食事を持っていったんですね。1週間ぐらいして彼が小屋から出てきて、「俺、悟りを開いた」と言うんですね。

ヒンズー教では悟りを開くと「オウム」という声が聞こえるとなっているんです。オウム真理教のオウムなんですね。これを宇宙のモーター音と言っています。「よし、じゃ僕も」といって僕も今度入っていって、アメリカ人に食事を持ってきてもらったんですね。だけど、座禅をずっと組むと足腰が痛くなるんですね。だからそれを直すために体操のようなことをやるわけですよね。それが日本に伝わってきている体操のようなヨガなんですね。でもあれはヨガの本道ではないんです。座禅で痛くなった足腰を直すために発達したヨガで、物質的利益のためのヨガです。本質的には座禅が一番いい方法なんですね。

座禅を組んでいるか、その体操をしているか、寝ているかでずっとやっていたんですが、4日目のちょうど夜明け、4畳半ぐらいの小屋なんですが、ハチがブーンと飛んできたような感じなんですね。こう見て、「あれ、ハチがいるかな」って。ハチはいないんですよ。ひょっとしてと思ってドアをあけて外に出たら、夜明けの空から「オウム」のシャワーなんです。すごい音なんです。右側に大きな木があって、木に耳を当てたら、木の中から「オウム」なんです。左側に大きな岩があってその岩の中からも「オウム」。オウムの嵐なんです。「ああ、俺、ついに悟りを開いた」って感動しました。

そのアメリカ人と2人で散歩したんですが、そのヒンズー教寺院はガンジス川の上流で、川の音がいつもザーザーなんですね。川辺を散歩しながら彼が、“Hey you, can you hear ohm?”と言うんですね。黙って耳を澄ますと川の音が消えて「オウム」って聞こえるんですよ。“Oh, yes, I can. And you?” “Me,too. We got it, we got it, we got it.”あれは楽しかったな。

ヒマラヤの山奥で2度目に死にかけた話

それから山を下りたんですけれども、2度回目に死にかけた話がこのときなんです。何回か山を下りて町のヒンズー教寺院に泊まって銀行に交渉に行ったんですね。「まだ来ていない、まだ来ていない」と言うんですが、あるときマラリア蚊がたくさんいる部屋があったんですね。マラリアというのは、マラリアの人がいて、その人の血を吸った蚊が僕に来て、僕にその血を吐き出すとマラリア原虫が移ってマラリアになるんですね。

戦時中、南方に行った兵士はマラリアにかかって、たくさん死にました。体力があるうちはまだいいんですが、体力がなくなると途端にマラリア原虫が暴れ出すんですね。マラリアにかかるとどういう症状になるかというと、すごく体が熱くなるんです。汗をバーッとかくんです。寝袋の上で寝ていたんですけれど、もう寝袋がびっしょりになるくらい汗をかくんですね。その次に今度はガタガタ震えるんです。すごく寒くなるんです。寝袋の中に入ってもガタガタ震えるんです。それを一日何回か繰り返すんです。

マラリアになると性悪説になります。何でも悪く考えるんですね。「田舎のおばさんが40万円送った」と手紙に書いているんですね。「本当に40万円も送ったのかな、4万円ぐらいじゃないかな」と思ったりね。荘内銀行を通して送った。「荘内銀行、そんな地方銀行が外貨なんか送れるかな」とかね。荘内銀行に私のいとこがいて、いとこに頼んで送ったとのことなんですが、そのいとこがこの荘内館出身なんですね。僕より何年か上なんですが、荘内館はテニスコートがあったんですね。今の女子寮のあたりです。テニスコートの隣がお墓なんですね。そのいとこはお化け大会の墓荒らしが楽しかったと自慢話をするんです。「あの墓荒らしが原因かな」とかね。とにかく悪いことばかり考えるんですよ。

お坊さんに相談したらミルクを飲むといいと言うんですね。そのヒンズー教寺院の近くに1軒だけ農家があって、その農家にゆっくり歩きながらミルクをもらいにいくんですね。ガラスコップ半分ぐらい。牛でもインドは水牛なんですね、だからそんなにミルクが出ないわけですよ。それをゆっくり飲んで、「またあした来ます。ヨロシクお願いします」と言ってトボトボ帰るでしょう。食事を食べないとだめだからといって食堂に行くんだけど、普通ならば「熱はどうなった」とかって聞くでしょう。向こうの人は聞かないんですね。生と死がすごく近いんです。弱い人が死ぬのは当たり前なんですよ。ヒンズー教では死んだってどうせ生まれ変わるんだからいいんですよ。

あるとき川辺を歩いていると、4〜5歳くらいの女の子のうつ伏せの死体が流れてきて、川辺にピシャーン、ピシャーンと打ち上げているんですね。僕が“Dead body, dead body, call police, call police”って叫んだんです。インド人はこう見て「フッ」といって行くんです。そうなんですよ。生と死が近いから、死がそんなに怖いものでも何でもないんですよね。

私が荘内館にいたときに、夜遅くバイトの帰り、山手線のJR駒込駅から線路沿いを歩いてくるでしょう。最後の踏切のところで左側にお寺の門があるところがありますよね。あるとき、おばあさんが踏切で立っているんですよ。何か異常なんですよ。私は歩きながらパッと見たら、おばあさんが数珠を握っていたんです。「数珠、あ、これは自殺かもしれない」と思って、「おばあさん、生きていれば楽しいことがあるから早まらないで」と、あなた方の年ですよ。20歳ぐらいのときですよ。おばあさんを説得したの。必死でした。サラリーマンが通ったから、「こういう状態だから警察を呼んで」と。サラリーマンが荘内館の坂を走って登っていったから荘内館の近くの家の人だと思う。今みたいに携帯なんてないから。それでパトカーが来て、いろんな人が出てきて、おばあさんをパトカーに乗っけて、それでガクッと疲れが出たんですけれど、それが普通でしょう。向こうはコール・ポリスと言ってもフンなんだものね。

かと思うと、ウシが道端に倒れてもう死にそうなんですね。白目を出して。僕と同じ黄色い服を着たヒンズー教の行者がナムアミダブツみたいなお経をずっと唱えているんですよ。ヒンズー教ではウシは聖なる動物なんですね。神の召使いで、神様はウシに乗ってくるんですね。だから人間よりウシのほうが偉いんですよ。変な宗教ですよ。だから、誰もウシにチョッカイを出さないから野良ウシがたくさんいます。僕はお腹すいたときは市場でウシの近くを歩いて、店の人がキャベツの外側などをウシに投げたら割って入って拾って食べた(笑)。お金なんか無くたって何とかなりますよ。

マラリアはとにかく牛乳を何度か飲んでいたら治ったんですね。お金も来たので、次に仏教の修行に行こうとしてブッダガヤというところに行きました。インドのちょっと上のほうで、地図のここです。

お釈迦様、悪いけど、あんた、本当に悟りを開いたの?

仏教は、日本人はある程度知っているのでざっとだけ言いますが、お釈迦様が開いた宗教です。お釈迦様は人間です。神なんかじゃないんですね。お釈迦様はルンビニという小さな王国の王子様として2500年前に生まれたんですね。ネパール国境に近い地図のここです。生まれた直後に長老のお坊さんがあらわれて、王様に対して、「この子はあなたの後を継がないよ。家出するよ」と言ったというんです。だから王様はそれじゃ困るといってものすごい過保護に育てたんです。特別な王宮をつくってあげて、きれいな若い男女だけ置いて。何の苦労もないようにしたんですね。

お釈迦様が成人して、馬車で御者と一緒にお城から一番初めに出たときに、老人を見たんですね。それまで老人なんて見たことがないわけですよ。ものすごい過保護だったから。それで御者に「あれは何だ?」と聞いたら、「あれは老人です。人間はみんな老人になるんです。」と言ったんですね。お釈迦様は老人を見たことがなかったから、ガーンとなってお城に逃げ帰ったんです。2回目にお城から出たときに病人を見たんですね。「あれは何だ?」。「病人です。人間はみんな病気をするんです。」お釈迦様は病人を見たことがなかったからガーンとなって逃げ帰ったんですね。3回目には死人を見たんですね。「あれは何だ?」って。「人間はみんな死ぬんです」と。お釈迦様は死人を見たことがなかったからガーンとなってお城に逃げ帰って、お釈迦様はどうしてこの老病死が起こるのかと考えたんですね。その結果、「生」つまり生まれるから「老病死」が起こる。「生老病死」。これは仏教の四苦といって仏教の本質です。

お釈迦様は生まれなかったら老病死にならないわけだから、この問題を解決するために修行の旅に出たんです。その時29歳で、35歳で悟りを開くんです。ついでに死んだのは80歳で毒キノコにあたったといわれています。29歳のときにもう奥さんも子供もいたんですよ。それを捨てて家を出たんです。案外、家庭人としてだめですね、お釈迦様。

そして、当時の偉いお坊さんたちに生老病死の解決策を聞いて回ったんだけど誰も教えてくれなかったんです。だからお釈迦様は自分でこれを解決しようとして、前正覚山(ぜんしょうかくざん)という山の洞窟で修行をしたんですね。地図のここです。すごい修行です。

私はインドに来る前にパキスタンのラホール博物館苦行釈迦像の仏像を見たんですね。すごいです。骸骨(がいこつ)に皮をかぶせたような感じです。もうガリガリです。あばら骨も浮いて。おなかがグーッと引っ込んでいるんですね。お釈迦様が言っているのは、「背中の皮にさわったらおなかの皮についた。おなかの皮にさわったら背中の皮についた」と。そのぐらい苦行をしたんです。

だけども、その苦行では悟りを開けないというのがわかって前正覚山(ぜんしょうかくざん)をおりて、川で水浴をして、土手を歩いているときに村の娘スジャータが乳がゆを持ってきたんですね。おかゆですが、牛乳で煮た上品な甘さのおかゆ。これは仏教では聖なる食べ物なんです。それでブッダガヤというところに菩提樹(ぼだいじゅ)の木があったから、菩提樹の木の下で座禅をしたら一晩で悟りを開いたということになっているんですね。

私もそこへ行ってきましたゴツゴツとした岩山でお釈迦様が修行した洞窟というのがあって、仏像が飾ってあるんですね。門番みたいな人がいて、私は日本人代表として「よろしくお願いします」とこうやってかなりのお布施を置いてきました。その時は日本から40万円来たので、お金にはかなり余裕があったのです(笑)。そのあと前正覚山(ぜんしょうかくざん)からブッダガヤまで歩くんですが、結構あるんですよね。お釈迦様はあんなガリガリでよく歩いたなというぐらいの距離です。

乳がゆの女の人はいなかったんですけど、菩提樹の下で座禅を組んだんですね。そこは安いホテルがあったのでホテルに泊まりながら、菩提樹の下で何日も座禅を組んだんです。けれど悟りを開けないんですよ。「お釈迦様、悪いけど、あんた、本当に悟りを開いたの?」って思いましたよ。お釈迦様は悟りを開くとはどういうことかとか、悟りを開いた後はどうなるかって言っていないんですね。前にいたヒンズー教では「オウム」が聞こえたら悟りを開いたという基準があるんですが、仏教はないんですよ。理屈のうえでは、仏教の悟りとはこんな感じですね。この世では生老病死のサイクルの中にずっといるんですよ。永遠に救われないんですよ。しかし、悟りを開くと生きたままであの世に行くんですね。あの世は生老病死のない極楽ですよ。

そこで気づいたのは、その菩提樹の木が3代目の菩提樹の木だってことなんですね。お釈迦様は2500年前の話ですから、もう木が枯れちゃってるんですね。地図のここにスリランカという国がありますが、このスリランカは熱心な仏教国なんですね。ここにある菩提樹の木が、この1代目の菩提樹の苗木をここに持っていってたんですね。その2代目のスリー・マハー菩提樹の苗木が、今、ブッダガヤにある3代目の菩提樹なんですよ。3代目だからかなりご利益が薄くなっているんですよ。

だからこのスリランカの2代目のところで座禅すれば悟りを開けるだろうと思って、インドをずっと陸路で南下してスリランカに行きました。スリランカで2代目のところで悟りを開こうとしたんですね。かなりやったんですが、やっぱりだめなんですよ。「お釈迦様、悪いけど、あんた、本当に悟りを開いたの?」って恨みましたよ。

無人島で3度目に死にかけた話

そうこうするうちに、インド洋のここにモルディブ共和国という島国があるんですが、ここはかつては仏教だったのにイスラム教に変わったという話を聞いたんですね。どうして仏教がイスラム教に変わったのか、それを調べようと思って飛行機でモルディブに行きました。小さなプロペラ飛行機で、お客さんは僕だけ(笑)。

モルディブに着いて何日かしたらコレラがはやってきたんですよ。町の中心に行ったら体育館に死体がダーッと横たわっているんですよ。ここはイスラム教だから、死体は白い布でグルグル巻きにするんですね。エジプトのミイラと同じです。体育館の上にダダダダダダッ。「これじゃもうだめだ、逃げよう」と思っても、もう飛行機は飛ばないし船は出ない。

どうやれば生き延びられるかと考えて、「コレラは人間がうつすから、人間がいないところに行けばいい」と無人島に行くことに決めたんです。首都のマレーという島の近くに観光客用の無人島があったんですね。バンガローが10軒ぐらいあって自炊です。誰とも会わないようにしていたんですが、ある朝、海岸を散歩していたら、ゲリ便が海にずっと続いていたんです。コレラにかかるとゲリ便になるんですね。ここにもコレラが来たと身が震えました。すぐに本当の無人島に逃げることに決めました。人づてに本当の無人島の所有者と話をつけて、戻ってきたら全額を払うからといって初めに半分だけ渡して契約しました。イスラム教世界はキリスト教世界以上に契約社会です。結婚するときに離婚したときの慰謝料まで決めるんですから(笑)。神と人間が契約したんだから人間同士も契約するんです。

その本当の無人島を管理しているオマドゥという島があって、そこの酋長に紹介状を書いてもらったんです。アラブ式のドニーという小さな木造の帆船で1泊しました。このドニーは1本マストの三角帆なんですが、操縦性がすごくいいです。海図もコンパスも磁石もないんです。星と太陽と風だけで航海するんです。船長があっちの方にナントカ島が見えるはずだというと、子供の船員がマストにするすると登り、見えたというのです。水平線の先にその島で一番高いヤシの木のてっぺんの葉が見えるのです。すごい視力です。我々日本人も以前はこのような能力はあったんですね。だけど、今は道具に支配されて堕落してしまったんです。

『シンドバッドの冒険』で分かるように、15〜16世紀のヨーロッパの大航海時代以前はアラブの船が世界史の舞台にいました。インドネシアなどの東南アジアにイスラム教が広がったのは、このアラブの素晴らしい航海術によるところが大きいです。そのオマドゥという小さい島に着いて、酋長とまた交渉して、戻ってきたら残りの半分を渡すからといって、毎週、水を1回持ってくるという契約にしたんですね。それから無人島に行きました。

学校のグラウンドぐらいの広さです。ヤシの木が20本かそれぐらいですね。結構大きな水瓶だったんですけれども、暑いからやっぱりかなりの水を飲むんですね。水瓶からコカコーラの缶ですくうんですね。水がだんだん少なくなると、缶が水の底についてカラカラ、カラカラって鳴るんですよ。毎週水を持ってくるはずの酋長が来ないんです。「えっ、もうこんなにないの、これがなかったら、死んじゃう」と。だからもうカラカラの音が、「おまえ、もう死ぬよ」という悪魔の声なんですよ。

夕方、スコールが来るんですね。スコールが来るのは分かるんです。雲があって、雲の下にシャワーが見えるんですね。いつも同じ方向から来るんですよ。「あれは通り過ぎるな、これは島の上空に来るかもしれない」と分かるんです。私は現地人と同じ腰巻きを巻いていたんですね。腰巻きは洗濯しないから臭いんですけれども、それを広げてスコールにワーッと広げるんですね。スーッと吸うんですよ。でも一瞬でもう終わり。あれで水分補給はほとんどできない。最近、芸能人がお盆か何かで隠すでしょう。僕は隠さない。無人島だから(笑)。

島にはホウレンソウの原種のような草が生えているんですね。酋長に食べられるというのは聞いていたので、焚き火にかざしてしんなりさせてから毎日食べていたのですが、これもほとんど水分補給にはならないんです。ヤシの木の若い実の中にはたくさん水分があるのでトライしました。ヤシの木の登り方には地域によって3つあります。素手で登る方法、足に縄をつけて木に固定させて登る方法、サルを教育してから登らせる方法です。モルジブは一番原始的な素手で登る方法でした。これは危険なので島の何人かは木から落ちて死んだという話でした。夫は死んでも妻は未亡人にはなりません。イスラム教では妻は4人までOKなので、すぐに誰かと結婚するのです。ある意味では社会福祉が整っています。私は素手で登ろうとしたのですが、30cmも登れませんでした。

もう何日ぐらいでだめだろうなと思って、あるとき干潮の日があったので海面が下がったから、珊瑚礁(さんごしょう)、リーフの先まで歩いてい・チたんですね。そこからドーンと深くなるんですね。海の色が違うんですよ。それで何かフカみたいなのが泳いでいる。どうせ死ぬなら1mでも日本に近いところで死のうとしたんですね。だけど、ここから日本まで泳いでいったらもうすぐ食べられちゃうな」と分かって泳ぎはやめました。

じゃどうすればいいかと、夜、珊瑚礁の砂浜で考えていると、この手の指と指の間で白いショウジョウバエと白いカニが生存競争をしているんです。遠くから見たらわからないんだけど、寝ながらこうやって手を見ると、きっと珊瑚礁の砂だから有機物が入っていると思うんですね。それをショウジョウバエが食べるんですね。そのショウジョウバエを、やっぱり白い砂粒みたいなカニが追いかけているんです。こんなところで生存競争をやっているんですね。「そうすると、このままここで死んだらこいつらに食べられるな」と考えに考えて、お墓をつくることにしました。

このように穴を掘って、穴の上のここにヤシの葉っぱを置いて、砂を葉っぱに乗っけて、私の頭がこうですよね。最後の段階でこのヤシの葉っぱを引っ張れば、ここにある砂が落ちて生き埋めになる。これがカニにも食われない一番いい方法かなと考えたんですね。それで毎日お墓を掘っていました。珊瑚礁だから、ちょっと掘るとサンゴの死骸がダーッとあるんです。道具も無いから素手で掘るのは大変なんですね。でもこれも修業だと、死ぬ前にお墓を完成させようと必死に掘っていたんですね。

私の父の世代では、戦争に行くときに本を1冊だけ持っていっていいというルールがあったらしいんですね。当時の青年たちはどれを持っていこうかと悩んだらしいんですけれども、その中のベスト3は、第3位が『善の研究』という本です。これは京都大学哲学教授の西田幾多郎(にしだきたろう)先生が書いた本です。西洋と戦わざるをえない日本の青年が、西洋哲学を超えた東洋哲学にふれて、ものすごく人気があったんです。高校の国語の教科書に抜粋が載っていたんですが、先生はこれを詳しく説明してくれました。あの先生はこの本を持って戦場にいったと確信しました。あの時代の青年は日本を守るために自分を自分で理論武装していたんです。第2位が『古事記』です。『古事記』と『日本書紀』がありますが、『古事記』のほうが第2位です。第1位が『万葉集』なんですね。

私は父と同じものを持っていきたくて父の兄弟たちにも聞いて調べたんですけど分からないので、第1位の『万葉集』を持っていったんですね。旅行しながら、日本が寂しいときはパラパラッとめくっていたら、知っている歌が出てきたんです。「海行かば 水漬く屍(かばね) 山行かば 草生す屍(かばね) 大王(おおきみ)の 辺にこそ死なめ かへり見は せじ」。大伴家持(おおとものやかもち)の歌なんです。僕はこの歌は軍歌だと思っていたんですね。戦場で死体を埋めるとき、あるいは海軍ならば船から滑り台で水葬をするときに戦友が起立して歌った歌なんですね。しかし、軍歌なんかじゃないんです。万葉の時代から日本人が弔いのときに歌ってきた伝統の歌なんです。日本の伝統はすごい。日本から遠くはなれた異国で万葉集にこの歌を見つけたときは涙が流れました。

私は日本から遠く離れたインド洋のこの無人島で死ぬけれども、日本人の一人として恥ずかしくないように誇り高く死ぬことを決めました。そして、もしあの世というものがあるなら、戦病死した父に、一人息子の私はあなたの分まで正々堂々と生きてきたと報告できるようにしようと決めました。誰も歌ってくれないから僕が一人で歌ったんですね。水平線の先に北極星が見えるんですね。あっちが北だから日本は多分あっちだろう。毎晩、日本に向かって起立して歌いました。

当時の気持ちになって歌います。

「海行かば 水漬く屍 山行かば 草生す屍 大王の 辺にこそ死なめ かへり見は せじ」

それから何日かして船が迎えにきました。
私は生きていて、生きて日本に戻ってきました。
これが3度目に死にかけた話です。
ご静聴ありがとうございました。

質疑応答

悟りは本当に開かれたんですか?

質問@ ヒンズー教で悟りを開かれたところはとてもおもしろいんですが、悟りは本当に開かれたんですか? 悟りを開く前と後では、どこが違いますか?

A)僕はヒンズー教の悟りと仏教の悟りを経験してきたんですが、両方に共通しているのが座禅です。座禅というのは、外からは静かに瞑想(めいそう)にふけっているように見えますが、実は拷問(ごうもん)に耐えているんです。だって正しい座禅は両足の足裏を上に向かせているんですよ。足は元は魚のヒレです。それがカエルの後ろ足に進化し、サルの足になり、人間の足になったんです。人間の足の裏を上に向けるなんて、自然に対する冒涜(ぼうとく)です。昔の中国に達磨大師(だるまだいし)という人がいたんですね。禅宗の開祖です。この人が壁に向かって9年間座禅をしていたら手足に血が行かなくて腐って無くなったんですね。これが手足のないダルマ人形の由来です。

座禅をすると幻聴が聞こえます。誰か遠くの人が僕のうわさ話をしているのです。それから最後にヒンズー教では「オウム」の声が聞こえることになっています。科学的にみれば拷問に耐えていると脳の中に特殊な物質ができて「オウム」の幻聴になったのです。だから山を下りて3週間ぐらいで聞こえなくなりました。仏教の悟りも同じです。お釈迦様は座禅をしながら、すごい断食をしたんですね。食べ物を減らしていって1日に米1粒から最後はゴマ1粒にしたといわれています。何度か意識不明になって倒れて最後は苦行を止めたんです。それが村の娘スジャータの乳がゆを食べたから脳の中に特殊な物質ができたのです。お釈迦様はそれを悟りを開いたと誤解したんです。だから、「悟り」はもともとないんです。科学がもっと発達すれば「悟り」の正体はこれだと分かるようになると思いますよ。

外国人との付き合い方などを教えてください。

質問A 今の話を聞いて、私も旅行に行きたいと思ったんですが、外国人との付き合い方などを教えてください。
A)よく「一期一会」といいますけど、あれば昔の変化の少ない時代だからですね。今の変化の速い時代では無理です。僕は旅行中、こっちから親しくなろうとはあまり思わなかったんですね。親しくなっても、またどうせ離れちゃうから。でも向こうから話しかけてきたら親しくするんです。私はジャパニーズだともう大体皆わかるわけですよ。話しかけてくるのはアメリカ人かドイツ人が多いですね。イギリス人やフランス人はまずだめ。イタリア人は話しかけてくるけれどチャランポラン。ドイツ人ははっきり言って日本が好きなんですね。この間まで三国同盟でやっていた。俺たちは早く降参したけれど、日本は原爆が落とされる最後まで戦ってくれた。日本すごいというのがあるんですよ。だから尊敬の念をもっているんですね。アメリカ人は原爆を落としたってことはあまり気になんかしていない。でも彼らはやっぱり明るいから、いろいろしゃべってくる。世界中の嫌われ者だから自分から友だちになろうと近づいてくる。アラブ人は日本が好き。どうしてかというと、僕が学生のころ、日本赤軍(にほんせきぐん)という学生運動があったんですね。団塊の世代で東大入試がなかったころ。学校へ行ったら毎日ワーワーやっていて、バリケードを組んで中へ入れない。僕は早稲田なんだけど、半年授業なんかないの。彼らが世界同時革命を唱え始めたんですね。ロシアが初めロシア革命を起こしたんですが、それは失敗だと言うんですね。彼らは「一国社会主義」といいますが、これはやり直すべきだというので、世界同時革命のために、北朝鮮に行ったり、メインがレバノンに行ったんですね。毛沢東のまねをしたのは国内に残って山岳闘争のまねをしました。最後は浅間山荘事件を起こしました。レバノンに行ったのが「日本赤軍」としてイスラエルのテルアビブ空港に殴り込みをかけて、手りゅう弾を投げて罪のない人を多数殺したんですね。3人殴り込みをして2人が射殺されて、1人だけ生き残ったんです。これはコウゾウ・オカモトといって、裁判を世界中で見て、ジャパニーズといったらコウゾウ・オカモト。だからおまえジャパニーズは俺たちの味方なんですよ。アラブ人は喜んで話しかけてくるんです(笑)。だけどアラブ人はイスラム教だから文明的背景が日本人とはかなり違います。アダムとイブの存在を信じていて、イブはアダムの肋骨から作られたので、すごく男尊女卑です(笑)。最後の審判も信じているから、埋葬は死人が神の前で起き上がれるように土葬の中の上半身部分に空洞を作ります(笑)。天動説と地動説ではまだ天動説です(笑)。進化論なんかは絶対反対です。ユダヤ教徒以上に旧約聖書に忠実です。日本で言えば、ほぼ全員が閻魔大王(えんまだいおう)を信じているような非科学的な世界観です。

世界連邦は実現できますか?

質問B この学生寮で世界連邦を考えて、世界を見てきたんですが、世界連邦は実現できますか。

A)私の父は第二次世界大戦で死んだので、第三次世界大戦は絶対に起こさないように「世界連邦」を考えたんですね。ヨーロッパにいた時は世界連邦はできると思いました。しかし、中東に行ったらできないと思い始めました。戦争が起こるのは国家の違いもありますが、宗教の違いの方が大きいです。レバノンでは国内で宗教戦争していました。私は旅行しながら、政治では世の中は良くならない。政治より根源的な宗教に問題があると思うようになりました。

マルクス主義の戦争の原因は食材不足です。ある人が無い人を攻撃して食料を奪います。動物の生存競争と同じです。しかし、科学が発達すれば食料は分子の集合ですから、工場で大量にできるようになります。物資による争いは無くなります。しかし、宗教による価値観の違いが戦争の原因として残ります。これを防ぐためには「宗教は非科学的で正しくないこと」・「科学だけが正しいこと」を証明しあうようにします。科学で価値観を統一すれば戦争が無くなるでしょう。第三次世界大戦は最終戦争で人類が絶滅します。

私が旅行で見てきた宗教には2つのグループがあります。1つは砂漠地帯から出てきた宗教でユダヤ教・キリスト教・イスラム教です。もう1つは、モンスーン地帯から出てきた宗教でヒンズー教と仏教です。

砂漠地帯から出てきた宗教の中で、ユダヤ教徒は人数は少なく、科学的な考えをしていると感じました。キリスト教徒は人数は多いですが、科学的な考えをしています。どちらかといえば神と聖霊とキリストの三神教とも言えます。教義があいまいなので布教のエネルギーは少ないです。問題はイスラム教徒です。人数も多く非科学的です。アラーのシンプルな一神教だから戦闘的です。保守的で非科学的で中世のキリスト教の十字軍時代のような発展段階です。自分だけが正しく小さな違いに妥協しないから、神の名においてすぐに人を殺します。

モンスーン地帯から出てきたヒンズー教と仏教はかなり似ています。ヒンズー教に神はいますが、神の化身を認めるのであいまいな神です。モーゼもイエス・キリストもマホメットもお釈迦様もすべてヒンズー教の神の化身です。複雑すぎて、インド人以外への布教のエネルギーは少ないです。仏教は無神教で神はいません。生まれ変わりの思想があるので、モンスーン地帯以外で布教するには限界があります。

これらの宗教の信者数はキリスト教(2,264百万人)、イスラム教(1,523百万人)、ヒンズー教(935百万人)、仏教(464百万人)、ユダヤ教(15百万人)です。このなかでこれから一番信者数を減らすのが仏教でしょう。2500年前と歴史が古いし、教義が複雑でエネルギーが不足しています。ミャンマーの「ロヒンギャ問題」はイスラム教徒に仏教徒が攻撃されている象徴です。今後、一番増えるのはイスラム教でしょう。アラーのシンプルな一神教だから、キリスト教の三位一体のあいまいな一神教には神学論争で必ず勝ちます。キリスト教より歴史が新しいから戦闘的です。北アフリカのボコハラム(西洋の教育は悪)やフィリピンのミンダナオ紛争はイスラム教徒にキリスト教徒が攻撃されている象徴です。イスラム教徒の弱点は科学です。イギリスの大学院にくる中東のイスラム教徒の知識階級でさえ、地動説や進化論を知らないか知っていてもウソだと思っている人が多数です。私が進化論でアダムとイブはいないことを説明したら大反対でした。科学的にはそうであっても心情的には認めたくないんです。

これらの宗教に共通するのが奇跡です。ユダヤ教のモーゼは海を割りました(モーゼの奇跡)。キリスト教のイエスは水の上を歩きました(イエスの奇跡)。イスラム教のマホメットは宇宙に行ってアラーと会ってきました。ヒンズー教の一派のオウム真理教の麻原彰晃は空中浮遊をしました。仏教のお釈迦様だけは奇跡を起こしません。非科学的な奇跡に頼らないで布教しました。したがって科学がもっと発展して非科学が弱くなれば、奇跡などでウソをつかない仏教が復活する可能性がおおいにあります。

私にいわせれば、宗教はすべて迷信です。

人間が人間の形に似せて神を作ったんですね。だからゴキブリが神を作ればゴキブリの形になっているはずです。人間は勝手に神を作って、その神の奴隷になってしまっています。ブタを食べてはいけない、牛を食べてはいけない、四つ足を食べてはいけない。

砂漠の宗教は自然を人間にとっては悪なるものと考えています。砂漠の中で人間が生き延びるのは大変です。だから天国は砂漠と反対です。アダムとイブは寝そべっていて、手を伸ばせば食べ物があります。労働は苛酷だから悪いものです。モンスーンの宗教は自然を人間にとっては善なるものと考えています。天国は現世と同じ自然環境です。労働は善なるものだから、織姫は機を織り、牽牛は牛を飼う労働をしています。大黒様は大きな荷物を運んでいる運送業だし、恵比寿様は魚をとる漁師です。モンスーンの宗教は、労働は善なるものです。雨も降るし、太陽も穏やかに照るから自然は人間が生活しやすいように豊かです。だから天国でも働いています。自然観も対照的です。砂漠の宗教は自然を悪いものと見るので、自然を人間の都合に合うように変えようとします。モンスーンの宗教は自然を善いもの見るので、自然のままを保とうとします。庭の作り方がその典型です。

私に言わせれば、宗教はすべて迷信です。科学の発達していない時代は神が必要でした。科学が発達してきた今の時代は科学で説明できます。もちろん、人類の歴史の中では科学の発達はごく最近です。まだまだ未発達の部分はたくさんありますが、未発達のところをことさら取り上げて科学を否定するのは正しくありません。現在、科学は加速度的に発達しています。世界連邦ができるにはもっと科学が発達しなければいけません。「〜を信仰する」などの非科学的な言葉が消え、「〜を証明した」のように科学的な言葉にならなければなりません。早く非科学は科学に負ける時代がきてほしいと思います。科学がもっと発展して、宗教のような非科学が力を失うようにならないと世界連邦は実現できないでしょう。

マルクス主義という宗教を含めて、宗教は来世を信じさせます。そして信じる者には来世で利益を与えるように来世利益に誘導します。しかし、気持ちは分かりますが、科学的に考えれば来世などは無いのです。人は現世で戦争を無くし、現世で幸福にならなければなりません。この学生寮の後輩の皆さん、科学の発達のために、よろしくお願いします。

※この文は、公益財団法人やまがた育英会の駒込学生寮で2017年度(平成29年度)に講演した内容に加筆したものです。

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